冬の祈り

祈りの言葉はある程度書き留めるほうがいいかもしれない

量化子に関する苦情

わたしには二つの量化子——つまり∀と∃——についてささやかな苦情が二つある。

 

苦情の一つは名前についてだ。allとexist。何だこの名前~とわたしは初めて論理学の勉強をした2017年頃に思ったし、いまも薄く思っている。要するにこれってカテゴリーミステイクなのではというのが苦情の一つ目だ。

 

2017年の春か夏頃のある日、わたしが論理学の勉強会に参加すると、その日は前回までで命題論理が終わって、その回から述語論理に入るという日だった。目の前にはホワイトボードがある。たしか先輩が、マーカーでAを逆さにした記号を書いた。そして隣に「すべて」と書いた。それを見てわたしは思った。なるほど、ここまでは命題単位で議論をしていたけれど、ここからは「すべて」みたいな量が問題になるんだな。そうか「量化子」というのは名前の通り、量に関するいろいろなことを表すための記号なんだ。なるほどね(注:こんなには物わかりはよくなかったかも)。そして先輩は続いて、∀の下にEを逆さにした記号を書き、その隣に「存在する」と書いた。わたしは混乱した。

 

「すべて」と「存在する」? どういうこと? その二つの言葉が対になるのか? なぜ? 片や「すべて」は何かの量や範囲などを述べるもので、それらが存在するかどうかについては何も述べない。片や「存在する」は何かが存在するかどうかを述べるもので、それらの量や範囲などについては何も述べない。二つは全然違う種類の言葉だ……と思う。これまでそう思って生きてきた。一体どういうこと?

 

いま振り返ってもこの混乱は適切なものだったと思う。なぜallとoneではなくallとexistなのかとも思うが、それは∃によってoneではなくat least oneが意味されるからだろう。しかし、二つの量化子によって意味されることは正確に言えばallとat least oneのはずだ。けっしてallとexistではない……とわたしは思う。at least oneとexistの共通点なんかnothingの反対だということくらいしかない。existを使いたいなら、たとえばall existとat least one existsとかだろう。allとexistを並べるのは絶対に変だよ。

 

まあでも理解はできる。allは一語であり、それに対してat least oneは三語だ。どちらも一語にする必要があるならたしかにexistは適切かもしれない。なんといってもat least oneとexistはどちらもnothingの反対だ。すべてであるとは限らず、何もないのでもない。他に適切な言葉も見当たらないならまあ許してもいいかという気もしなくはない。

 

二つ目の苦情はこうだ。existというのは要するに、いま述べたようにallとnothingの間に広がっている領域だと思う。しかしexistは、nothingとは重なっていないのに、allとは重なっている。(nothingとは違い、allはexistを含意する。)これってちょっと嫌じゃないですか?

 

allとnothingの間に広がっている、allとは重ならずnothingとは重なる領域の名前がほしい。“not all”は二語なのでだめだ。加えて、allとnothingの間に広がっている、allともnothingとも重ならない領域の名前と、allともnothingとも重なる領域の名前もほしい。四つのうち一つしか名前がないなんてなんか嫌だ。

 

おしまい。