冬の祈り

祈りの言葉はある程度書き留めるほうがいいかもしれない

日記 2025年10月 すべてがうまくいってもよい

先月に引き続き、十月も日記を書いた。先月より短めかも。

 

1日 水曜日

昨夜の寝つきがやや悪かったためか、いつもより遅めの七時半頃に起床。

コーヒーを飲み、先月の日記を整え、ブログで公開する。

眠る。

調子の出ない日。

2日 木曜日

午前は週末の共同発表の最終打ち合わせ、スライドの確定。

3日 金曜日

ぼんやり。

4日 土曜日

若手フォーラム一日目。朝九時からの枠の司会から始まって、最後の十九時からの枠で発表。いろいろコメントをもらえてとってもよかった。懇親会も行ってみる。途中、体調が微妙でテーマレクチャーや総会には出られず。

5日 日曜日

若手フォーラム二日目。体調が微妙でしょんぼり。

6日 月曜日

上野でひとと一緒に作業したあと、夕方から水戸に戻る。

7日 火曜日

「たすからない」という言葉がわたしの口癖だった時期がある。文字通りわたしは助からないと思う。閉じ込められている。

誰も苦しむに値しないのだから、わたしもおそらくそうなんだけれど……。

関係ないが、誰にも等しく訪れる死、これもわたしは憎んでいる。死はわたしたちを中断する。わたしはわたしたちが死を乗り越える前の時代に生まれてしまったのだと感じる。ポケモンなら街を出て最初の草むらで誰かを捕まえる前のような、歴史の最序盤に生まれてしまったよね、わたしたちは、わたしは。わたしたちが言語を獲得してから死を克服するまでの、短い暗がりのような期間。貧しいとは言わないが。ゲームなら最初の草むらで鳥や虫や鼠と戦ったり仲間にしたりしてからストーリーがまともに始まるように、死なんか斥けてからすべて始まるはずなのにね、という感覚。死を望まない誰にもわたしは死なないでいてほしい。

原稿の続きを書いて気を紛らす。

8日 水曜日

わたしの好きなもの:祈り、よい知らせ、思慮。薄明かり、または薄く明かりの差した暗がり、初冬。

わたしの好きな言葉:他の条件が等しければ。画像はイメージです。

わたしの嫌いなもの:大雨、大空、海。蔑むこと、死。

元気がない。

9日 木曜日

ぼんやりしつつ、原稿を進める。

10日 金曜日

日本倫理学会大会に参加するため、仙台に移動。共同発表の最終打ち合わせ。宿からオンラインでワークショップを聞きながら原稿のイントロダクションを執筆。

夕飯はワークショップ後、共同発表者と一緒に中東料理。

話していたら、共同研究プロジェクトが一つ開始されることになる。

11日 土曜日

学会二日目。会場にぎりぎりに到着。午前はいろいろ聞いて、午後はのんびり。昨日発生した共同研究プロジェクトが二つに増える(えっ?)。

夜の懇親会はヴィーガン対応メニューがあまりにもなく、そればかりか会場では牛たんがじゅうじゅう焼かれ、その匂いが立ち込めていて、何?ここは何の分野の学会なんだっけとなった。ちょっとむかついたので何も食べなかった(因果的効力なし)。二次会は枝豆だけ食べた。

12日 日曜日

早起きしてカフェ。朝イチの発表の質をコーヒーが左右すると信じている。ねむい。

学会後は非公式懇親会。

夜は秒速5センチメートル(実写版)を、仙台でひとと見る。とってもよかった。わたしは好きだよ。

13日 月曜日

普段煙草はほぼまったく吸わないけれど、煙を吸って吐くことそのものは好きなんだよわたし。本当に好きなの。健康に悪影響のない紙たばこってないのかな。

14日 火曜日

仕事。一人になりたいときの一人、わたしは厳密には二人でもいいときがある。

15日 水曜日

ぼんやりぶどう。

博論書きびとの見守りびと。

16日 木曜日

退屈の訪れ。やめて、来ないで~無の時間~~と言ってみるが、効果がない。

ともだちと作業通話。

髪乾かしびとの見守りびと。

17日 金曜日

四週間前から食事制限による減量を試みていて、今朝体重を測ったら2kgの減少が見られた。この調子だ。ダイエット方法の相談に乗ってくれていたひとに伝えたら「なんのおかげなの?」と言われてショック! わたしが食事を減らしていると思っていなかったという話。

先週末に発表した内容の論文原稿を、夜に書き終わる。イントロは先週金曜日の夜に書いていたので、全部併せて一日半かからず書いたことになる。原稿早書きがわたしのとりえ。原稿早書きびとの名をほしいままにするひと。

18日 土曜日

ぼんやりぶどう。

19日 日曜日

研究会。教師のヴァルネラビリティの話を聞く。

分析系の哲学の研究書や論文で、一番最後の文などにほんの少しの詩情を帯びさせるのはナラティブとして効果的だと思う。最後の最後に一瞬だけね。

20日 月曜日

駅のホーム。カラスが飛んできて電線に止まり、六回鳴き、五回鳴き、六回鳴き、四回鳴き、四回鳴き、三回鳴き、飛び去った。

100か0か。つまり、完全な健康か、死か。大変な指標だ。

欠けたところ。人のいない家。

21日 火曜日

ぼんやりぶどう。

新鮮に、何もしたくないという精神。それなのに何かをしたいと思う。

夜は研究会でひとの原稿検討をする。楽しいよね。楽しくて、現時点でなんのネタもない研究会の報告予定を十一月下旬に入れてしまった。

22日 水曜日

本の出版の企画書を直す(編集者のハートをつかめるだろうか)。会議。ひとの大学院出願の応募書類、出願手続きチェックにオンラインで付き添いをするというか、見守る。

23日 木曜日

困り眉。久遠のねむけ。すべてがうまくいってもよい。企画書を送る。

24日 金曜日

困り眉。すべてがうまくいってもよい。「たすからない」と比べて、口癖はこちらのほうがよいと思う。祈りの言葉だ。しっくりくる祈りの言葉をわたしは探していた。

年明け頃に開講される集中講義を一つ引き受ける。全十三回だそうだ。大変かもしれない。

すべてがうまくいってもよい!

米津玄師はとんでもない厭世家、悲観主義者であり到底数えきることもできない多種多様なネガティブ&不道徳な思想をもち、曲に込めてもいるけれど、歌詞をちょっとだけ難解にしつつインタビューなどではいい感じのことを述べることによって世の人から気づかれずに済んでいる、もしくは許されている、追及されにくい空気を作っているな〜と思う。そう思わない? そこも含めて好きだよ、しばしば素敵な思想も同居してはいるし。

25日 土曜日

寒く、天気が悪く、そのせいかあまりにも元気がないため午後の予定を取りやめる。

元気と友達になりたいと人に言ったら、具体的にはどういうこと?と聞かれ、「困ったとき呼んだら来てほしい」と答える。元気に対する解像度が低すぎるとコメントされる。元気のことよく知らないのに呼んだら来てほしいだなんて……という話だった。まあたしかに。

ぼんやりやきいも。体調崩しやきいも。

すべてがうまくいってもよい。

大丈夫、君はいま体調が悪いだけだよ、他には何も悪いことは起きていないからね、と言い聞かせる。

26日 日曜日

朝、なかなか起きられず十時頃に起床。共同研究の打ち合わせが十四時からあり、それまではその準備。十七時前に終わり、着替えてすぐ上野へ。十八時からひとの博論にコメント。

任意のものについて、その蔑称を用いても何の問題もないというときは存在しない。

向かいのホームで楽しそうに踊る子供。

分析哲学の貢献の出し方パターン集として、わたしの知る限りをカタログ的にまとめる記事をブログとかに書こうかなあと思う。近いうち、ひまなときにやろう。

27日 月曜日

研究計画書を書くひとの見守りびと(オンライン)。

会議。

眠る。

28日 火曜日

起床後、コーヒーを飲むのが遅れ、眠すぎる午前中を過ごしてしまう。必需品だなあ。

一昨日の夜、博論執筆が佳境であるところのひとがこの世すべての悩みを宿した顔をしていたことを思い出す。

夕方、ひとの原稿のかぎかっこ使用について相談されたのでコメント。山かっこまたは傍点、圏点のほうが適切な場合があり、かぎかっこは他人の声がするとき(引用と、あと世の人はそういう言い方するけれどわたしはそういう言い方ってしないんだよね~のとき、など)に限ってかなり限定的に用いるほうが大抵の場合はよいのでは、みたいなことを述べる。

29日 水曜日

起きたら研究会の準備をし、十四時から開始。十五時半頃までやったらそのまま作業通話に移行する。事務作業をかなり済ませる。

うっかり食事をし忘れて、十七時台に朝食(Huel)。大変だ。最近、時々、空腹を感じないんだよなあ。

夜は二十時から研究会。フランクファートを二人でゆっくり訳しながら読んでいる。

30日 木曜日

仕事。新任教員研究発表会の準備を終わらせたり、事務手続きを済ませたり、原稿を直したり、メールを書いたりする。

十月がもう終わりそうなのやばくない?

夜、Switch版Slay the Spireを遊んでいて、プレイ時間三十時間ほどにして初めて心臓を倒す。アセンションは1。使用キャラはディフェクト。ディフェクトは第三層突破に一番苦戦したキャラだけれど、道中エリートを避ける方針を立てたらどうにかなるようになった感じがする。ただ心臓を倒せたランは神格化をレリックで毎回初手に内定させるということが起きていて、相当上振れていた。まあでも上振れを取り逃さないのも技術ってことでね!

メールを送って、シャワーを浴びたら就寝。

31日 金曜日

今日のわたしには元気がないとわかってきた、午前十一時五十三分。のんびり仕事しようね。

それにしても元気がない。何もできない。食欲がなく、寒く、身体が重い。すべてがうまくいってもよい……。

再査読のための原稿修正を行う必要もある。当面の仕事はそれかなあ。

この十月はあまり特筆すべきことはなかったような感じがする。つなぎの月という感じ。出張は多かった。

深夜、ともだちと通話していたら共同研究のオンラインミーティングに変容する(ともだちが共同研究者でもあるため……)。二十五時頃までやったかな?

引き続き論文を読むというともだちを置いてわたしは眠る(わたしが切ろうとしない通話を相手が切ってくれた)。

もう始まったけれど、十一月に期待!

日記 2025年9月 天井歩き

久しぶりの日記。

チェンソーマンレゼ篇のネタバレを含む日があったかも。29日と30日。

1日 月曜日

午前は仕事。

午後は横浜にある大きな書店と美術館にわたし含め三人で遊びに出かけた。

美術館の展示は「佐藤雅彦展」で、入口付近に大きくこう書いてある。

この展覧会のテーマは、
「作り方を作る」です。
佐藤雅彦

とってもベタだ〜と思いつつ(あと句読点いらないのではと思いつつ)同時に、わたしが修士課程一年目の頃に思っていたことと真逆のことを言っているな~と思った。当時、論文って作り方はかなり既製品で自由が効かないんだな~と理解していたので。

将来の夢は対話篇形式の論文で査読を通すこと、いつかそのうちね。展覧会を出たあとお餅を焼きながらその話をしていて、どこに出したらいいんだろうと言っていたら、この論文を教えてもらった。

  • Habgood-Coote, Joshua ; Watson, Lani & Whitcomb, Dennis (2022). Can a good philosophical contribution be made just by asking a question? Metaphilosophy 54 (1):54–54. https://doi.org/10.1111/meta.12599.

タイトルしかなくてアブストラクトも本文もない論文で、とはいえコメンタリー論文が同時に公刊されている。わたしは本体のタイトルしか読んでいない。よい哲学的貢献はただ問いを問うことだけによってなされうるか?

  • Habgood-Coote, Joshua ; Watson, Lani & Whitcomb, Dennis (2022). Commentary on “Can a good philosophical contribution be made just by asking a question?”. Metaphilosophy 54 (1):55–60. https://doi.org/10.1111/meta.12600.

というわけなのでそういう論文は、素敵なものが書けちゃったらMetaphilosophyに出すのがいいかも?

わたしが知っていた対話篇形式の比較的新しい哲学の論文は、不可識別者同一原理についてMax Blackが書いたMindのこれ。九年前くらいに聴講していた授業で読んだ。

  • Black, Max (1952). The identity of indiscernibles. Mind 61 (242):153–164.

古いような新しいような。

なんにしても対話篇形式を取ることに必然性があればいいんだけどね。それを思いついたら書けたらいいなと思う。

2日 火曜日

午前は仕事。

午後はすきなひとの家に遊びに行って二人で休んだ。仕事もわりとした。

最近読んでいるという哲学の入門書の一部を読ませてもらったけれど、情報の海という感じがわたしの好みとは違った。入門書に文句をつける専門家になりたくないけれど、それはそれとして好みというものはあるので難しい。ニュートラル感を醸し出したり謳ったりしていないものが好きだったり、ポイントや読ませどころ、緩急のようなものが明白なものが好きだったりする。ぼやっとしていないものが好きということかも。

先月はわりとずっと授業準備をしていて、それで思ったのは、わたしはいまのところ入門書を書きたいという気持ちがないかもな~ということ。自分独自の見地から研究動向をまとめたいときはサーベイ論文を書けばいいような気がする。どう考えたらいいんだろう。ニュートラルを謳う入門書を書きたくもないし。

授業は「倫理学概論」という名前で、いろいろな話を盛り込んだ計画を立てていたので実現が大変だった。

3日 水曜日

十九時から日付が変わるまで共同研究の打ち合わせをして疲れて就寝。今週末の応用哲学会大会の発表準備。なんとかなりそうではあるのでよかった。

4日 木曜日

昼間、昨日の共同研究の打ち合わせの続きを三十分。

ともだちの科研費の調書二つにコメント。採択される確率の高そうな書類だった(と思ったのでそれも言っておく)。

疲れてお昼寝。

明日は土曜日朝からの学会参加のため大阪に移動する日なので、今日は荷造りをして早めに眠りたい。

気が塞ぐので、変なタイミングだけれど今年を振り返る。

  • 一月はぼんやりしていた。あまり記憶がない。年内に博士論文の口頭試問が終わっており、わりと何もすることがなかったような気がする。引越しのため水戸の新居探しなどを初旬はしていた。なんとか決まって、後半は何も覚えていない。
  • 二月になった瞬間くらいに新居を借り始め、しかし引越しはまだなので旧居に住むという期間が発生。ともだちに手伝ってもらって床材を敷いたりした。後半はずっと荷造りをしていたかも。本を箱に入れる作業がなかなか終わらなかったという記憶……。下旬に引越しを完了させる。
  • 三月は科研費(研究活動スタート支援)の調書をずっと書いていた気がする。途中まで作業部屋にエアコンがなかったので、寒い中コートを着てPCに向かって調書を書いていた。第一週の終わる頃にはエアコンも設置されて、ともだちも遊びに来てくれたりした。
  • 四月一日からテニュアトラック期間開始。前半は科研費の調書を仕上げていた。後半は記憶がないけれど、授業をしていたら終わったかも。共著で書いていた仮言命法に関する論文原稿の第一稿が書き終わり、英文校正に出す。
  • 五月も引き続き授業をしつつ、刑罰論の論文原稿を書いていた。中心的に取り扱う理論を決めて、その関連文献を調査するところから。途中で日本哲学会大会に参加したりした、発表はなし。その土曜日に第一稿が完成。あとはずっとその直しをしていたんだったかな。
  • 六月も刑罰論原稿を直し、半ば頃に投稿。超義務に関する共同研究で、三人で要旨を書いて調整し、学会発表に応募する。反省的均衡に関する共同研究もスタートさせ、要旨を書いて学会発表に応募。それから道徳的錯誤論の論文原稿に取り掛かって、下旬に第一稿が完成。これは八月に投稿予定のもの。しかし研究会でコメントをもらったら、議論が穴だらけであることがわかり、落ち込む。気晴らしに八月投稿予定の別の道徳的真理に関する論文原稿を書いていたら、順調に進み、六月中に第一稿が書き終わる(えっ?)。そういえば半ば頃から、実践理性批判をゆっくり読む会を開始させたんだった。
  • 七月は道徳的真理の論文原稿を直しつつ、健康の哲学に関する共同研究をスタートさせる。仮言命法に関する論文原稿は校正が終わり、投稿。第三土曜日から論理学サマースクールに参加し始める。週末(金土日)が消えて痛い。八月下旬の集中講義の授業準備を本格化させる。最終日、研究活動スタート支援の採択通知が届き、心からほっとする。
  • 八月は忙しかった。まず第一、第二土曜日を含む週末(金土日)が論理学サマースクールに消える。初旬には健康の哲学の共同研究で、要旨を書いて学会発表に応募。それから、穴だらけに見えていた道徳的錯誤論の論文原稿に再度着手。人からもらったコメントにもかなり助けられつつ穴を塞ぐ。目につくものは塞いだと思う。提出して、あとはずっと授業準備。お盆は母、父、弟と四人で二泊三日の小樽旅行をする。下旬に授業が終わり一息つく。道徳的真理の論文原稿を仕上げて投稿する。授業準備、共同研究三つ、単著原稿の修正二つを並行してやっていたら疲弊している気がする。

四月からは仕事の話ばっかりになってしまった。仕事以外って何をやっていたんだっけ……? 毎月数日ずつ東京から遊びに来てくれるわたしのすきなひとがいなかったらわりとおしまいだったと思う。

発表準備中の三つの共同研究を仮に論文化できるとすると今年度七本の論文を投稿することになりそう(単著三、共著四)。もしそうだとして、もう少し数を増やすか、やめておくか、とっても迷っている。どうしたらいいんだろう。現状の休息の必要度が読めないという感じ。査読対応やリジェクト後の修正&再投稿もこれから発生するはずだしなあ。しかし、投稿したうち何個が公刊されるかまだわからないのに手を緩めるなんてことができるほど業績に余裕がないんだよー。

5日 金曜日

台風のため東海道新幹線が運転を見合わせてしまい、東京駅構内に四時間近く閉じ込められる。疲れた〜。

なんとか動いて大阪到着。チェックインしたらすぐ共同研究者二人とオンラインで最終打ち合わせをして、シャワーを浴びて就寝。明日起きられますように。

6日 土曜日

応用哲学会大会に参加。朝起きられてよかった。七時に起きて、コーヒーを求めてすぐ宿を出る。朝のコーヒーがないと一日何もできなくなるひと。

無事コーヒーにありつき、秋葉剛史『形而上学とは何か』(筑摩書房、2025年)の第一章を終わりまで読む。

第一章を読むのは、ずっと前に見た映画の原作小説を読んでいる感じかも。メインで紹介される理論とかはわたしはすでにあらましまでは知っていたけれど、論述の細部には知らない話も(当然)わりと含まれている。それと何より、著者の語りが魅力的だと思うことに加え、話がぼやっとしていなくて、十分構造を備えている。本当に読みやすい。

本の続きを読んでいたほうが学会参加よりわたしの福利を増進するのではと一瞬思ったけれど、読みやめて会場に向かう。

大阪梅田駅の阪急線のホームは床の素材が好きかも。

発表は無事に終わる。発表後も休憩室でいろいろコメントをもらう。午後はねむけと戦いながらいくつかの話を聞く。公式懇親会で人々とお喋りやご挨拶。その後、学会参加者九人で懇親会。楽しかったよ。二十二時半頃に解散?

公衆浴場は苦手だけれど、労せずしてお湯につかれる機会だと思って受け止める。お風呂受け止めびと。もう寝るべきかもと思い、今日の日記を書く。

7日 日曜日

七時から七時半頃にベッドから抜け出す。昨日と同じお店で昨日と同じラージサイズコーヒーを摂取。秋葉先生の本の続きを少し読むけれど、飽きて日記を書く。

学会参加。気になる発表聞いて質問していろいろ教えてもらい、そして人々と交流できてとってもよかった。宿に戻る。

8日 月曜日

大阪から水戸に戻る。観光しようかと思っていたけれど疲れがあったのでやめて、新幹線の時間を早めて帰途に。金曜日の研究会で話すための資料を作りながら新幹線と特急に揺られる。

新しいノートパソコンは、ノートパソコンなのに画面が二つあるというもの。出先でのデュアルディスプレイが実現して本当にうれしい。とっても便利だよ。

帰宅したら疲れていたけれど、資料作りを大体終わらせる。えらい〜。

9日 火曜日

査読の結果が来ていたので見たら、修正のうえ掲載可とのこと。よかった〜。修正する。道徳的錯誤論の話。

その後、共同研究の打ち合わせ。最後まで議論が立って、なんとかなりそう。

夜は研究会。そのあと人と通話。

10日 水曜日

休みの日でもないけれど忙しくもない日だった。のんびり日。明日からの上田での研究会の準備、授業準備の仕上げなどをしていたら夜に。

人々と話したくなって、通話。明日は六時半に起きるので早く寝ないと。

11日 木曜日

朝早く起き、長野県上田市へ移動する。

研究会でいろいろな話を聞く。わたしの番はまた明日。

夜も楽しく過ごす。二軒目にあったはちみつのお酒がよかった。

12日 金曜日

研究会で報告。そんなに自信作とは言いがたい(にもかかわらず)複雑な話を駆け足で聞いてもらい、いろいろ言ってもらえた。うれしい。

昼食後はみんなで上田城に向かい、博物館の展示や復元された建物などを見た。民話の冊子を買う人が三人いた(わたしを含む)。

とってもがんばって片道四時間を帰宅。今日は店じまい。

今年を変な年にしたいなあと思う。哲学の論文をたくさん投稿したら変な年にならないかなあ。

素人が考えた理想の論文執筆ペース:十二本/年

ぼんやり過ごしたいし、忙しく過ごしたい。変な感じ。がんばろ。

13日 土曜日

仕事が早く終わらせてほしそうにしているので朝から仕事をする。コーヒーは550cc。修正版原稿の確定と提出、授業録音の仕上げ、OPTFの自己紹介発表のためのスライド作り。作業通話をしてもらって助かる。

論理学サマースクールの内容を復習する会は、参加者一人のお休みにより延期。残りの参加者に作業通話をしてもらう。今日はダウナーですねと言われる。そうかも?

そうこうしているうちに気合で買い物に出かける。帰宅し、朝昼夜兼用の食事をする。

すべての言葉を文字通りにしか受け取れないあり方から抜けられない。難しい言葉の意味がわからない。人を気遣うこともできない。人の言葉の意味がわからないので……。元気になれと思いながら、何になろうと思っている。わたしはどうなったら満足なんですか。大きめの音量であまり聞いたことのない音楽を流す。光量が乏しい。

ハルワニを読む読書会は今日はお休みしようかしら、どうしよかな、と思っていたけれど、なんとか参加。『愛・セックス・結婚の哲学』を読み始めたところ。今日はRL1、RL2、友人愛の区別が詳しめに提示される。多数派の経験の類型化という感じ。友人とはべたべたくっつかないよねみたいなことが書いてあって、わたしは友人によるが、と思う(思ったのでそう述べる)。恋愛パッケージは親密な(あと性に関して排他的な)関係性構築のためにとっても便利なので利用者が多いのはまあよくわかる。けれど、二人やそれ以上で一緒に規範を降りることもできる。関係のあり方をこまかく調整することができる。そうする能力や余裕のある人はそうすればよい。既製品の「恋愛」関係を降りても人と親しくなることはできるはず、とわたしは思っている(思っているのでそう述べる)。あと参加者の一人が言っていたけれど、恋愛パッケージのユーザーは、それを利用しない人々のことをほうっておくべきだ。わたしもたしかにそうだなあと思った。あとは、この本のこの辺りは多数派の経験の類型化をしているにすぎないように見受けられるが、とくにそう書かれているのではない。理論が多数派の経験にお墨付きを与える形になるのは望ましくないだろうから、この話がぴんとこない人に関するフォローを書いておいてほしいと思った。

実践理性批判を読む会は、出ようとしてみたら今日は人が集まらなくて流れてしまう。日程の再調整を試みることになる。

すきなひとと通話中、数時間前に朝昼夜兼用の食事をしたよと言ったら「そ ん な も の は な い」と言われる(泣)。「ゆうさんはどうしてそんなに食事に無頓着になれるの?」「いや、でも無頓着なんじゃなくて、おなかのすき具合を丁寧に考えているよ」。わたしは経験の記述上手(←明らかな劣勢)。

ところですきなひとは博論執筆の日々がまじで大変そう。心配すぎる。

シャワーを浴びて歯磨きまで済ませたので眠るべきかも。わたしはシャワーのことをしゃわ~と呼ぶ人だけれど、ブログなのでシャワー。あなたのはレビオサー

14日 日曜日

今日はなんだか元気かもしれない。コーヒーは550cc。

平日とみなして朝から作業。OPTFの自己紹介発表のスライドを確定させる。試しに喋ってみたら、ゆっくりめに話して二十八分台。持ち時間は三十分間と言われているのでまあ十分かな。Twitterで一応宣伝しておく。

授業動画の仕上げも完全に終わらせ、あとはアップロードすればいいだけになる。期末試験の問題も作らなきゃなあとは思いつつ、今日は授業準備はおしまい。日曜日とは?

米を炊く。最近はずっと雑穀米。

すきなひとが急遽、今日から遊びに来ることに。掃除をする。

明日のミーティングまでに読むべき文献を読まないと。健康の共同研究の準備。どうなるかな。

OPTFの合評会、出たいけれど出られるかなあ。

のんびりした日だ。退屈さはそこまでなく、忙しくもなく、十分なぼんやりを確保している。今日の残りをどうしてやろうか。文献は読む(のではないかと思う)けれど。

合評会には部分的に参加。延長線になってから質問もしてしまう。この本は読まないと。

15日 月曜日(祝日)

コーヒーは550cc。しかし今朝はひとに200ccくらい分けてあげたのでいつもより少なめ。昨日読まなかった本を十三時までに読む必要がある、という九時二十八分。と言っていたら十時三十一分。やば。

読み終えて共同研究のミーティング。テーマは看護実践における健康概念。三年くらいの付き合いのともだちが看護学研究者で、わたしは哲学研究者なので一緒にやってみている。まあまあよい発表になりそうな予感はあるかも。十六時に終わらせて昼食。次回は明後日の朝。

ひとの博士論文草稿を読んでコメントをする。2.5時間くらい? 終わったら夕飯。

16日 火曜日

共同研究の準備をしていたらほぼ一日が終わったかも。健康の研究。とってもいい本(2025年出版)を見つけたのでそれを読む。多元論と概念工学の一種を併せた方法論が採用されていてそれもよい。

夜は家に来ているすきなひとは措いてともだちと通話。通話前にお湯につかったのでどんどん眠くなっていき、二十二時に通話終了したらすぐに眠る。

17日 水曜日

朝六時頃に起床し、共同研究の打ち合わせの準備をし、九時から十三時半まで続く打ち合わせ。改めて議論の方針が立つ。今後の予定も決まる(次は土曜日)。

共同研究の一人で進めるパートに取り組んでいたらもう夜だ(文献調査が捗る)。夕飯を作っていて、十五分間の煮込み時間の間に博論の話を相談させてほしいと言われ、そのまま話していたら十五分経過したから鍋の火は止め、続きの相談に乗る。夕飯を食べながらもそのことを話し続け、食べ終えても少し続いた。解決はしたのでよかった。やや疲れたかも。わたしがひとの役に立っている。

その後二十二時となり、疲れをおして必死でシャワーを浴び、「ほらね」と言いながら人前に現れる。ご飯をパックして、ひとをシャワーへと見送る。二日分の日記を書く。もう眠るかも。

わたしの中学校から高校くらいの頃の好きなキャラは、自分がなりたい人だった。長門有希とか、鳳鳴とか、渡来明日香とか。名取周一とか。二鳥修一とか。ホロとロレンスだけは特別で、二人の関係を眺めて(読んで)いるのが好きだったけれど。(ごめん、長門有希鳳鳴、渡来明日香みたいな人にはいまもわりとなりたいかも?)

「健康とは何か」の研究。概念について「それは何か」という問いをめぐって行う研究をわたしは今回初めてやっていて、方法論的に慣れないし戸惑いも少しある。概念工学とか言っている。という話をひとにしていたら、あなたはメタ倫理学で「道徳とは何か」をやってきているひとだと理解してるよと言われ、ちょっとわかるけれど自認は微妙にそうじゃないんだよなあと思った。

18日 木曜日

早起きしてコーヒーを550cc。六時頃から十時頃まで作業した気がする。リビングで休み始めてひととお喋りしていたら十一時くらいになる。また少し作業。十三時からの勉強会に向けてお昼を食べて少し横になっていたら、ラインの通知に気がつく。見ると、参加者の都合が悪いという連絡で、勉強会が延期になる。そのままうだうだする。二人でアニメ鬼滅の刃遊郭編を第四話まで見る。大雨が降り始め、降り止んでいた。家中の扉を開けてエアコンをすべて除湿とし、少しだけストレッチをしていたら作業の続きができる気がして少し作業。二人で買い物に行き、帰宅して夕飯。だいぶうだうだしてからお風呂に入って、梨を食べて、いま。

作業はほぼずっと共同研究の担当パート。発表のアウトラインを四割くらいまで作る。スライドテンプレートを素敵な感じに整える。

レンズ豆はレンズに似ているからレンズ豆と呼ばれるわけではなく、レンズがレンズ豆に似ていたからレンズと呼ばれるようになったという定番豆知識があるけれど、これと似たような例はありますかとひとがGeminiに尋ねたら、以下のような回答が来たという画面を見せてくれて、かなり意味がわからなくてよかった。

画家ゴッホが描いた「ゴッホの椅子」は有名ですが、「ゴッホ」という言葉は、彼が椅子を描く前から存在していました。[…] 「ゴッホの椅子」という言葉から、まるで椅子が先に存在し、その後にゴッホという人物が生まれたかのように錯覚することがあります。実際には、ゴッホという人物が先に存在し、彼がその作品を生み出したのです。

「「ゴッホの椅子」という言葉から、まるで椅子が先に存在し、その後にゴッホという人物が生まれたかのように錯覚することがあります」という文、なかなか人には生み出せない迫力があって素敵だ。誰の話をしているの……??

希少な人「えっ、ゴッホってゴッホの椅子より先に生きていた人なの……?」
すべてを受け入れたわたし「そうだよ、レンズ豆がレンズより先に存在していたのと似ているよね」

ゴッホの椅子はけっこう素敵な絵だった。あと、同じ話をわたしのGeminiにもしたら、やっぱりだめだった。うける。

19日 金曜日

六時前に目が覚める。

八時頃に起床し、先日の健康診断の結果に異常が見られたので病院へ。かなり待って、先生から話を聞く。腹部のエコー検査と血液検査。体重を2.5キロ程度落とすようにとのこと……。

帰宅したらお昼時。Huelとコーヒー550ccをもって作業部屋に。メールをいくつか返し、レポート課題を発表したりいろいろ。

減量に向けてのアドバイスをひとからいろいろもらって、さしあたり一週間のあらゆる飲食物を記録することになった。体重も記録する。がんばろ~。

午後はOPTFの定期研究報告会に十五時過ぎ頃から参加。十七時二十分から十八時五分頃まで自己紹介発表。本調子ではない感じになってしまったけれど、まあ本調子のときとかそもそもないか。仕方ない。

終わって、東京に帰るひとを見送りに水戸駅まで。なぜだかとっても帰宅したくなりながら帰りのバスを待つ。弱くない吐き気。

帰宅して、IRIS OUTを、歌詞を見ながら何度か聞く。一番最初のフレーズ:

だめだめだめ、脳みその中から「やめろばか」と喚くモラリティ

わりとカントじゃない? モラリティのふるまい。

20日 土曜日

朝九時からお昼休みを挟みつつ十六時頃まで共同研究の打ち合わせ。長っ。

十七時から十九時まではハルワニを読む読書会。乗れない議論が多すぎてそこそこつらい。あと、ロマンティックラブの経験がたぶんわたしにないので、それも読みにくさの一因になっていそう。

終わって、料理ができるとは思えない疲労にしょんぼりする。わたしの意志の弱さがわたしをいつか孤立無援にするかもしれないことが怖い。わたしには周囲のひとに最低限迷惑をかけない程度のセルフケア能力が求められている。

少し眠り、食事をしてから、明日食べるためのカレーを作る。

そのあと突発的に四人で通話。減量計画についていろいろ言ってもらう。やはり運動か〜。通勤を自転車から歩きに変えるとか、したほうがいいのかもねというような話。助けてくれる人に頼りつつ自律的に進めるべき。

通話後、眠れる感じがなく困り、作ったカレーをご飯茶碗に一杯くらい食べてみる。ご飯は食べない。おいしくできているよ。

21日 日曜日

七時頃目が覚め、八時頃起床。

コーヒーは550cc。Huelと併せて飲みながら二時間くらいぼんやり作業。普段聞かない曲を聞く。

22日 月曜日

昨夜は遅くまでうまく眠れなかった。

朝八時、歩いて通勤しなくてはならないと思うとまったく起床できず、十時まで寝直してしまう。このままでは一日中起きられず寝続けることになりそうな気配を感じ、徒歩出勤の予定を取りやめたら起きられた。一安心。

自転車で出勤。学内でアイスコーヒーを買って、十一時頃から作業を始める。朝食を忘れていて正午頃にHuelを飲む。

共同研究のスライド作りを進める。今日は日本語の先行研究をフォローする。

すきなひとの博論の相談にも乗る。役に立てるとうれしい。

参加者のうち二人がお休みのためネーゲル利他主義の可能性』を読む読書会がなくなり、人々と雑談。研究計画調書のタイトルの話とかをする。原稿の書き進め方とか。

23日 火曜日(祝日)

深夜に中途覚醒してから眠れなかったので朝はゆっくり九時に起きる。

コーヒーは550cc。

体重を測ると、昨日から0.2kg減っている。記録を見ると9月19日から大体毎日0.2kgずつ減っているけれど、その調子で三十日間で6.0kgも減るわけがないので何かがおかしい。本当に減っている&この調子で減ってくれるならうれしいんだけれど。

この調子で一年ほど減ると理論的にはわたしは負の質量をもつ人になる。上空に向けて落下するから、天井を歩けるのではないか。一年後に天井を歩くためにやっていると思うとダイエットも楽しめるかも。あとは体重の増減に一喜一憂したら楽しいし、やる気になるのではないか。

休日なので在宅で、数日分の日記を書きながら今日は何をしようかな~という気持ちでいたらいつの間にか正午を回っている。何かを数えたら楽しいかな。星? 木の葉? 人? ページ?

夜、チェンソーマンレゼ篇を見てきた人から感想が送られてきて、その話は書かないけれど、関連してわたしがチェンソーマンを読むときに思うことを書いてみようかな。デンジって突然自分に価値が発生したひとだよね。そこからすべてが始まっている。雇用されて困窮を脱して、それまでは一人で生きていたのに、周囲に人が溢れるようになる(他人が発生する)。かなり戸惑うが、徐々に受け入れる。わたしは同じようなことを経験したことがあるなあと思う。大学一年生の最初の四月から五月頃のことで、あるサークルにふらっと入ってみたら、突然自分に価値が発生し、周囲に他人が溢れるようになった(他人が発生した)。自分の価値と多数の他人というのはわたしにはそれまで馴染みがなかったので最初、かなりびっくりして戸惑っていた(とっても疲れたりしていた)けれど、世の中そういうこともあるんだなあと思って徐々に受け入れた。(高校のときクラスメイトなどのことを(かなり少数の例外を除いて)あまり他人だと思っていなかった感じがする。ほんとにエージェントだと思っていたのかな? 名前も覚えていないひとが多かった、よくないね。)

以上のようなことにわたしは最初気がついていなかったのだけれど、2022年にKICK BACKによってデンジのことを米津に言われるがまま少し理解したときに気がついたと思う。「ハッピーで埋め尽くしてレストインピースまで行こう」というのはけっこうすごいフレーズだと思っていて、ある日突然そう思えるようになったひとの話なんだよね、この漫画。KICK BACKはだから聞くとけっこう元気が出る。ひとはこんなこと思っていてもいいんだ、と思って。

高校生くらいまでのわたしは生活にかなり退屈していた。何をしていても根本的にはまるで楽しくなく、広くて何もない蒸し暑い部屋に閉じ込められているイメージだと思う。この感じは別に最近でもまったくなくなったというわけではなくて、ふとした拍子にまた戻ってきて離れなくなることはあるけれど(仕事が一区切りついたとき、風邪をひいたとき、等々)、とはいえその部屋にい続けて出られないということはその頃からなくなった。数人の素敵な人たちのおかげで。

24日 水曜日

午前はシンクの掃除(ぴかぴか)。

午後は反省的均衡のほうの共同研究の打ち合わせ。スライドがほぼ確定。発表後のことについても少し話す。

昼食を食べ忘れて十六時半頃に食べる。

夕食は二十時半頃に食べる。

人々と通話していたら寝落ち。

25日 木曜日

午後中、ひとの博論の第五章にコメントを付けていた。35,000字くらい。休憩込みで九時間程度やっていた。

26日 金曜日

期末試験の問題を作る。

共同研究者でもあるともだちが小型犬を連れて家に遊びにくる。わたしは二人ともさんづけで呼ぶ。

先に大学で打ち合わせを済ませて、二人で帰宅。

湯舟を洗ってくれたのでお風呂につかる。二十三時半頃に就寝。

27日 土曜日

朝は早めに起きて少し作業したけれど、その後は久しぶりに、本当に何もしない日を過ごす。

28日 日曜日

早起きしたけれど、引き続き何もしない日。ひとがひとに釈迦に説法をしている様子をオンラインで見聞きする。夕方、帰るともだちを駅まで見送る。

29日 月曜日

振替休日なのでチェンソーマンレゼ篇を見に行った。

みんなどうかわからないけど、わたしは爆弾の悪魔の造形がどうしても好きになれないので、それだけで本当にレゼが気の毒になるというところもあるかもしれない。序盤に、マキマが映画を見て涙を流すのをデンジが見る場面があって、この場面がレゼ篇に含まれていた感じがしていなかった。戦闘シーン、デンジが途中からビームに騎乗して速度を出すのかなりばかで好き。

レゼって偽名だと思うけれど、自分でつけたのかな。気に入ってたのかな。あのあとうまく数日くらいは一緒に逃げて、その間の束の間、レゼのために生きるデンジのことを考えちゃうよね。レゼが抱えているしおれてきた花束を見て、それいつまで持ってんだよとデンジがレゼに言っている。えー?という返事。完全にしおれて腐るまでは逃げ切れなくてもいいから。でも、しおれてきたら買い替えられたらいいよね。レゼは花をもらった数を数えるかな。百まで数えたら、あとはもう数えるのはやめたらいいよ。爆弾とチェンソーに手を焼くマキマも見たかった。ビームはどっちにつくのかな。

30日 火曜日

最近、朝六時頃に目が覚めることが多い。今朝はそのまま起きて、少し作業をした。反省的均衡の勉強。あまり面白く文献を読めていない感じ、どうしようかなこれ。

九月が終わるね。

今日も振替休日なので何もせず横になり、IRIS OUTとJANE DOEを交互に聞く。レゼにとってのデンジのこと、デンジにとってのレゼのことを考える。爆弾とチェンソーとでマキマに束の間の抵抗をして、負ける、そういう話があってもよかったのに。その数日間がもしあったらあんな死に方とは違っただろうにね。

ところで、心の調子が停滞期に入ったような感じがする。やばいかも、退屈で退屈で仕方がないという感覚。なぜ〜。

という気持ちを一度忘れ、十八時から二十三時まで健康の共同研究の打ち合わせ。疲れるけれど、よい発表になりそうだという期待が持てることはうれしい。

寝ると明日が来る。十月はいま来た。この九月はいろいろ含んでいたような、あまり特筆すべきことはなかったような、どちらともつかない感じがする。十月はどうだろうね。

ぬるい冬 夜 帰途 暖かく強い雨
小さな傘では覆えない半身が濡れる
歩くだけで汗が滲む 不快な湿り気

あなたのことを考える 痛みはない

水滴の散った眼鏡越しに街灯が滲む
光を気にかける 光源をじっと見る
立ち止まる 傘を外す 雨を受ける

帰り着く頃には眠っているでしょう
痛みはない もう受け入れたと思う

簡単なことを想像する 部屋の四隅
中央に立ち順に四隅を見る 暗がり

あなたのことを考える 雨が不快だ
雨の夜を二人で歩いても不快だろう
やめておいてよかっただろうと思う

それでもあのときわたしは助かった
光を受けたのだと思う 穏やかな光

 

水面下

白い息
枯れ木
割れた路面

すべてではないのかもしれないと思うこともある
だが言われたことはすべてだ
知りようのないことを気に掛けるな
忘れなければいいだけだ

マグカップから立ち上る湯気
ロックグラスに注がれた水と氷
老眼鏡
造花
閉じないように本を乗せられた横書きの本

結局のところ本当かどうかがわからなくてもいい
疑うことは豊かにするが時にわたしたちを貧しくもする
受け入れがたいときには受け止めるだけでもいいはずだ
明日考える
来年考える
待つ

寝苦しかった昨夜流れていたテレビ番組
明るくなる前には消えたストーブの炎
椅子に乗って交換した切れた電球
いま足早に流れ去った雲
遊びに出かけた父と弟
ほとんど残っていなかった赤と白の瓶
回転数を間違えたレコードプレーヤー

寂しくはあるから少し距離を取ることを許してほしい
身勝手な態度だけれど
新年の挨拶を一言だけする
親しさが壊れることだけが怖い
あなたにとって大切なことはわたしにとっても大切だ
それだけだ
広い道の端を並んで歩くこと
あまりにも暑くてやっていられなかった日を思い出す

日記 2024年12月 降りたいのに

1日 日曜日

まずは学会発表。有益な質問&コメントをいくつももらえて大変よかった。いい発表ができていたならばいいな〜という回顧的願望が生じた。友達と夕飯を食べてホテルに戻り、就寝。

 

2日 月曜日

前半は友達と大阪観光。道頓堀を眺めて、こんな感じか~とする。後半は二人とも疲れもあり早めに新幹線に乗り帰宅。と思ったが、上野でカラオケをしてからの解散。あとポケモンのガチャガチャをした。メタモンとガラルポニータ

新幹線内で、背が相対的に低い側の人しかできない人へのひっつき方があるのでうらやましいなぁと思った。

 

6日 金曜日

わたしに価値とかないからひっそり暮らそうという気持ちが押し寄せてくる。はー。こういうときどうしたらいいんだろうね。気を紛らしたい、リカバーしたいと思いながら過ぎ去るのを待つ。何をしていても退屈という感覚。義務はたくさんあっても退屈でないことにはならない。

 

7日 土曜日

猫は好きだけど、好きな生き物は第一に蛇、次に梟、その次くらいに猫だという文脈における猫が好きかも、と思った。そんなこともない気もする。

 

8日 日曜日

だいぶ眠って、起きてからは『分析形而上学の最前線:人、運命、死、真理』の真理パートをちょっと読む、あと編み物を少しして、原稿をほんの少し書き、何をしていても退屈感がぬぐえず窒息という不調。はー。

 

10日 火曜日

VFlatScanという非破壊スキャンアプリを知って、使ってみる。かなりよい。歪み補正機能とかがこういうアプリに大抵あるのは知っていたけれど、スキャン画像から勝手に指を消してくれるのが本当にすごいと思った。文字認識も(月500円かかるけれど)普通に高精度だったし、日本語もいけた。かすれや歪みも許容範囲内だと思う。総じて、紙の本のスクリーンショットを撮るかのような感覚で非破壊スキャンができるという感じ。

 

14日 土曜日

Dancy, Moral Reasons, 1993.の勉強を1年以内にするという緩やかな目標が生じた。動機づけに関するヒューム主義の拒否と個別主義ってつながっているんだっけ? わたしと同い年の本であることによる1ミリくらいの親近感がこの本にはあるかも。

 

15日 日曜日

昨夜、事情があって眠れなくてずっと起きていたらぐるぐる。眠い。あと風邪引いたかも? ううう。

 

16日 月曜日

引き続き風邪。

キャスリン・ストック『マテリアル・ガールズ:フェミニズムにとって現実はなぜ重要か』(慶應義塾大学出版会、2024年)という本を買ったら、わりと明示的なトランス排除本だった。悲しい。

 

17日

mixi2を始める。快適。いいねの他に付けられるリアクションが豊富なのが最高で、もうそれだけでTwitterから移住したくなった。

 

18日 水曜日

カクヨムで小説に感想をコメントしたら、作者(中学生の頃から読んでいるラノベ作家)から返信がきていてちょっとうれしかった。支倉凍砂さん。

ブリッツ・マジック・スケーリング ~異世界で最も複雑な魔法陣の作り方~ - カクヨム https://kakuyomu.jp/works/16817330650967237345

病院に行ったら風邪は治ってきた、というか、薬で症状が消えたのだと思う。助かる。

 

19日 木曜日 ~ 20日 金曜日

夜、友達と通話。両日とも3時間くらいずつで、ほぼずっと倫理学の話をしていた。楽しかった。

 

23日 月曜日

ふとポケモンがやりたくなって、ポケットモンスターホワイトを初期化して最初から始める。超序盤でポケモン解放の思想が語られる。ポケモン世界のきわめて自明視されている規範が疑われるところからすべての話が始まるという、いい始まり方だと思う。

 

25日 水曜日

口頭試問(博論審査会)を翌日に控えた日にできること、論文をひととおり読み返すこと、よく食べ、忘れずにアラームを設定して早めに眠りにつくことくらい?かな。

 

26日 木曜日

午前中は博論審査会。無事帰還する。午後は突然友達の家に遊びに行き、夜はその友達の別の人との会食にお邪魔する……。

 

27日 金曜日

昨日の疲れから、研究会の対面参加を諦める。

夜、友達とラインでクワロマの話をしながら眠る。やはり恋愛規範は悪い。一対一規範を受け入れている人としか一定以上は親しくなりたくないという選好を持つ人が多すぎるよ。どうなってるんだろうね、恋愛から降りたいのに、降りるとある程度までしか親しくなれなくなる人が出てきてしまう。降りたはずの規範の影響下から抜けられない……。というのは、一人だけ規範を降りるということが意味をなさないからだろう。降りたいならば、関係者全員で一緒に降りないといけない。

ポケポケ、ピカチュウデッキのマチスライチュウ型が強かった

先月末、10月30日にリリースされたPokémon Trading Card Game Pocket(ポケポケ)をこの10日間くらいわりと遊んでいる。楽しい!

11月7日15時には初めての対戦イベントである「最強の遺伝子 エンブレムイベント1」が開催された。内容はシンプルで、11月28日14時59分までに累計45勝してください、成功すればエンブレムを贈呈しますというもの。わたしは昨日、9日の午前中に勝利数45になった。

45勝まで序盤からほぼ同じ構築のピカチュウデッキをずっと使っていて、かなり強かった。記録せずにやっていたからわからないが、体感で勝率7~8割はあったと思う。かなりするすると勝ち、あまりにも強かったのでメモを残しておこうというのがこの記事の趣旨。

 

まず最終的な構築はこれだった。最後の10戦くらいはこれで勝ったかな?

プラス25戦くらいもほぼこれと同じ構築だった。最初の10戦くらいはピカチュウデッキの違う型だった。それについては後半に書く。

 

以下、わたしのこの10日間くらいのプレイ履歴を書いたあと、いまの環境(とくにイベントにおける)の超大雑把な考察と、今回のエンブレムイベントで使った構築について思っていること、あとその細かい変遷とかを書く。(わたしのプレイ履歴などに関心がない人は最初の節を普通に読み飛ばしてほしい。)

 

 

初期のプレイ履歴

1.ミュウツーサーナイト

わたしが最初に作ったのはミュウツーexとサーナイトのデッキだった。というのは、ツイッターでこのツイートを見たから。

 

ほんとに情報がなかったのでこれを信じてまずミュウツーパックを剥いた。3000~5000円くらい課金して作ったのがこんな感じのデッキ。

まあまあ強くて、イベント前のランダム対戦(バトル→だれかと→ランダムマッチ→カードプレイヤー)を50勝するくらいまで遊んだ。その間、ルージュラを入れたり、リザードンパックを剥いてニャースを入れたりナツメを入れたりした。それなりに勝ててかなりうれしく、ポケポケって(ポケカって)楽しいんだな~と思い始めた。

 

ただ、使っていて不満に思ったことが大きく分けて三つあった。

 

まず一つ目に、ミラーのゲーム性がわたしには合わなかった。(注:ミラーというのはカードゲーム用語?で、同じタイプのデッキ同士の対戦のこと。ここではミュウツーサーナイトデッキ対ミュウツーサーナイトデッキの対戦。)

ミュウツーexの二つ目の技であるサイコドライブのダメージは150点で、そしてHPも150点。数値が同じなのである。するとどういうことが起こるかと言うと、ミュウツーexの残りHPが減っていても満タンでも関係なく、先にミュウツーexにエネルギーを4つ付け終えてサイコドライブを打った側がほぼ勝つ。

わたしはポケカ歴はかなり浅いけれど、おそらく本来ポケカには次のような要素があり、これがゲームを面白くしている一つの重要な要素なんじゃないかと思う。つまり、まずプレイヤーは相手のバトル場のポケモンに複数回の技でダメージを蓄積させてHPを削っておいて、本命の技1回で倒せるよういろいろ工夫して状況を整える。そして相手も同様にキルラインを意識して同じことをしつつ、HPを回復させたりポケモンをベンチに下げたりすることで対戦相手のそれを妨害する。さらにそれに対して相手はサカキで打点を上げてキルラインに到達させたり、ナツメで相手のベンチからHPの残量が低いポケモンを引っ張り出して点を取ったりする。……という駆け引きの要素だ。これはすごく楽しくて、対戦相手のいるゲームって面白いよなあと思わせてくれる重要な要素なんじゃないかと思う。

思うのだけれど、ここでミュウツーサーナイトミラーを見てみよう。上に書いたように、サイコドライブのダメージは150点で、そしてHPも150点だ。このとき、事前にダメージを蓄積させておく必要はないし、ミュウツーexはサイコドライブ一撃で倒されるためきずぐすりを使うこともできず、またサカキを使う必要もない。だからこのデッキ同士の対戦には、まさにいま書いたようなゲームを面白くしているようにわたしが感じる要素が欠けている。

ミュウツーサーナイトミラーでの論点はほぼ、ターン開始時に2エネを持ったミュウツーexと控えのサーナイトの組み合わせを相手より早く成立させるということだけだと思う。重要な駆け引きの要素が消えて、残った駆け引きの要素はレッドカードを使うタイミングくらいなのではないかと思う。なんだかあんまり楽しくないなあとわたしは思った。

そして、ミュウツーサーナイトデッキは環境にまあまあいるので、ミラーはそこそこ頻繁に発生した。以上が一つ目。

 

二つ目は、どういう構築をしても目指すべき盤面がほぼ同じだということだった。このデッキは要するに上に書いたように、ターン開始時に2エネを持ったミュウツーexと控えのサーナイトの組み合わせのできるだけ早い成立を、そしてそれだけを目指すことになる。もちろん構築は多少いじれて、ニャースを入れたりルージュラを入れたり素ミュウツーを入れたりできるけれど、目標盤面は基本的に同じ。これはちょっと、たとえ勝てるとしてもだんだん飽きてくるなあと思った。

 

三つ目ピカチュウに負けるという点だった。ミュウツーサーナイトはけっこう幅広くいろんなデッキに勝ち越せるという印象だったが、ピカチュウにだけは勝率がそんなに出ていないように感じた。こちらがコンボを成立させる2ターン以上前から2エネの90打点が飛んできたりするのがかなり厄介で、対策が立てられなかった。しかもピカチュウデッキはそこそこ環境にいた。

 

そういうわけで、ピカチュウデッキってもしかしてわりといいのでは?という感じがだんだんしてきた。ポケポケというゲーム自体はかなり楽しかったので決意して、追加で5000~8000円くらい(だったかな?)を入れてピカチュウデッキを作った。

 

2.カスミお祈り

というわけでピカチュウデッキの使い勝手などを次節以降に書くけれど、その前に、体感同じくらい環境にいるように思われるカスミお祈りデッキについて一言。

フリーザーexが2枚ミュウツーパックで引けたので作ったけれど(カスミはピカチュウパックなので注意)、このデッキはわたしにはミュウツーサーナイトよりもかなり、かなり合わなかった(比較にならないほど好みではなかった)。構築はまあよくわからないけれど大体こんな感じでしょう。

このデッキはすべてをコイントスの結果に帰着させ運ゲーに持ち込むので、駆け引きもほぼなく、目指すべき展開は毎回ほぼ同じで、すぐに飽きてくる。これって楽しいのか? 対戦相手の必要なゲームなのか? ここまで駆け引きがなく勝敗がコイントスの結果に帰着するのって一人回しをしているのと変わらないのでは? そしてそこまで勝率も出ていないのでは?(これって遊戯王で言ったらエクゾディアみたいなやつなのでは。)壁とやってろ!(暴言)と思ったので早々に使うのをやめた。

その後、スターミーex(リザードンパックなので注意)を2枚引けたので入れたら多少改善したけれど(環境にいるのはこれが多いかな?)、それでもやることは基本カスミお祈りなので上に書いた不満点は維持された。構築はこんな感じかな?

総じておもしろくない!と思った。

 

いまの環境の超大雑把な考察と感想

イベントを45勝するまでやってみて発生した、イベント内でのいまの環境に関するわたしの手短で超大雑把な考察と感想を書いておく。

まずわたしの印象では、使用率の点で環境トップはピカチュウミュウツーサーナイト、カスミお祈りの三強かなあと思う。イベント前のランダムマッチングの対戦はもっと多様だったけれど、イベント戦は多様性が減って、これら三つのデッキが増えたな~と思う。フシギバナとかファイヤーリザードンとかマタドガスカイリューとかその他いろいろもいるけれど、割合は控えめかなと思う。

三つのデッキそれぞれの特徴としてわたしが重要かなと思う点を五つずつ、ごく簡単に挙げておく(前節に書いたことと一部重複)。

 

1.ピカチュウ

  • たぶん使用率一位。記録していなかったので体感だけれども。
  • 速い。進化せず2エネから90点というまあまあ高打点の技が使えるため。
  • 安定している。つまり、目指したい盤面の再現性が高め。カードが引ければコイントスはほぼなし(サンダーexお祈りだけある)。
  • 構築の型が多様。基本ギミックの枚数がピカチュウex2枚と少なく、あとは雷タイプの種ポケをいい感じの枚数入れればいいという、緩すぎる制約しかないため。採用されているのはサンダー(素、ex)、コイル系、ビリリダマ系、シママ系、バチンウニ、ピカチュウ系など多様。
  • 環境デッキから弱点を突かれない。サンダー(素、ex)を壁にするときだけ雷弱点なのでミラーでは注意が必要。でもサンダーexならHPがピカチュウexの最高打点+20よりも高いので壁にはなる。
  • ダメージを蓄積させる駆け引きが重要になる。

 

2.ミュウツーサーナイト

  • たぶん使用率二位くらい。
  • 遅め。サーナイトがいないとミュウツーexはサイコドライブを連打できないが、サーナイトは2進化。また、攻勢に出るターンの開始時点で2エネ持っていないといけないのでそれも遅め。カイリューとかフシギバナとかよりは速いけどね。
  • 安定度は中程度。目指したい盤面はまあまあ安定的に作れるが、作る前に勝負が終わってしまうこともあるので、それを加味すると高くはないかな。カードが引ければコイントスなし。
  • 型の多様性も中程度かな。メインギミックがポケモンを8枚要求するので、他のカード、とくに生き物を入れる余裕が少なめだと思う。採用されているのはニャースルージュラ、素ミュウツーあたりかな。ニャースはドローを増やせるので安定度をちょっと上げるかな? ルージュラは貴重なサブアタッカーだけれど相手にエネルギーがたくさん乗っていないと打点がそれほどない(2エネだと70点)から、フシギバナリザードンには強そうだけれど、いま使用率高めのデッキ相手にはあまり強く出られない感じがする。環境が変わって全体に必要エネが重めになったら活躍しそうだけれどいまはそんなにかも。素ミュウツーは基本壁、あるいは時々サブアタッカーかな。
  • 環境デッキから弱点を突かれない。
  • ダメージを蓄積させる駆け引きは、ミラー以外ではまあまあ重要になる。ミュウツーexをどこで育てるかとか。ただ、ミラーとカスミお祈り対面はこの駆け引きは消える、または控えめ。

 

3.カスミお祈り

  • たぶん使用率同率二位か、三位くらい。
  • 運がよければ最速。ただしカスミが成功する場合に限る。カスミ不発だと、フリーザーexは最速のミュウツーサーナイトと同速。スターミーexはピカチュウと同速だが進化が必要。
  • 安定度は低い。博士の研究なしでカスミを引く必要があるし、引けてもコイントスで2~3連続オモテを出す必要がある。フリーザーexは種だけれどスターミーexは1進化。
  • 型の多様性は低い。環境外を見ても一番構築の自由度がない気がする。対戦開始前に水エネを見たらもう相手が何をしてくるか大抵わかる(わかっても対策とかは立てられないけれども)(たまにカメックスとかもいるけどね)。
  • 環境デッキであるピカチュウから弱点を突かれる。
  • ダメージを蓄積させる駆け引きは、カスミ不発時に多少あるけれど、その場合は負け戦を相手のミスや事故に期待して拾えるだけ拾うみたいな戦い方になると思うので、けっこう苦しい。

 

わたしの感覚ではピカチュウが頭一つ抜けていて、ミュウツーサーナイトとカスミお祈りが後を追っているという印象。どうだろう。

ただ、ピカチュウが多そうと言ってもたぶん4~5割くらいだから他のデッキとも十分当たるし、上に書いたようにピカチュウ内での型が多様なので、多様性のない一強環境という感じはあんまりしないかな。

感想としては、環境はまあまあ多様で基本的には楽しい。いろんなデッキを見る必要があるので構築の工夫も楽しいし。あと、デッキ間の露骨な相性はたぶんないので、プレイや引きで解決できる余地もわりとあってよい。

リリース初期だから仕方ないけれど、カードプールが狭めなのだけやや気にはなる、が、プールが狭い時期のよさもあるとわたしは思うので、それが楽しめるのはいまのうち!と思って遊んでいるよ。

 

ピカチュウデッキの考察、使った構築、変遷

記事の初めのほうに書いたけれど、イベントはほぼピカチュウデッキで、しかも序盤以降はほぼ構築を変えずに遊んだ。その変遷を見つつ、ピカチュウデッキのマチスライチュウ型の強みだな~と思っていることと、プレイングで気をつけるとよさそうなことなどをメモしておく。

 

まず最初はこの構築で遊び始めた。

 

下の動画で紹介されている構築とまったく同じ。最初なので完コピしました。

【ポケポケ】ピカチュウexデッキ徹底解説!大型大会で無敗優勝した最強ピカチュウデッキがヤバイw【ポケカアプリ】 

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特徴は、進化できない事故を嫌って種ポケのみ採用、壁役に素サンダー採用、種ポケの数が最小限というあたりかな。まあまあ勝った。とくにミラー以外に強くて、けっこう勝率が出たと思う。

 

ただ、ミラーが弱かった。弱かったのは主に三点あったと思う。

まず一つ目に、素サンダーは逃げエネ1で、HPも100点あってミラー以外では優秀な壁だったのだけれど、雷弱点のせいでピカチュウexに一撃で落とされるためミラーで壁の役割を果たせていなかった。

続いて二点目に、ミラーのゲーム性がまず後攻が激しく有利というじゃんけんになっていて(これはいまのカードプールだとどのミラーも基本そうだろう)、その上どうもピカチュウの中ではマルマイン型が多かったので、控えでピカチュウexを育ててスピーダー引いてなくても2エネ貯まり次第攻勢に出るという動きを何度もされてしまっていて、後攻をとって先にエレキサークルを打っていても(自分の控えが2枚以下のときなどに)負けるという試合がそこそこ出ていた。あと、先攻を取ってしまったときに勝ちを拾うプランが存在していないというのもあった。上でカスミお祈りについて書いたように、勝敗がコイントスの結果に左右されすぎるのはわたしはあんまり楽しくなかった。

最後、三つ目に、これもマルマインピカチュウがまあまあいたせいで、ナツメが腐りやすくなっていた。逃げエネ0であるマルマインが相手の控えにいると、次ターンの相手のエネを抑制する目的でのナツメが意味をなさない。また、そもそもスピーダーをみんな必ず2枚入れているので、スピーダーを引かれていることでのナツメの無力化もわりとあった。

 

さてそこで、これらの弱点を一挙に解決するために作ったのが、冒頭にも載せたこの構築だった。これはとくに参考にしたツイートやブログや動画等はないので一応わたしのオリジナル。でも個人的には結論では?くらい思っている(言い過ぎ!)。

まず素サンダーを抜いた。これで壁役が壁にならないという意味のわからない不利は避けられるはず!

次に、ナツメを抜いた。これで腐り札が少なくなったので有利に戦えるはず!

最後に、マチスライチュウギミックを仕込んだ。これが強かった。まず、ミラー先攻時の負け筋は、ピカチュウex同士の対面で相手から先にエレキサークルを打たれるせいで自分の2エネ乗ったピカチュウexが先に倒されてしまうということだった。そこでマチスライチュウは、相手の壁を一人先に倒しておいた上で、HP満タンのピカチュウexまたはサンダーexを10まんボルト一撃で倒して2点取って勝利という勝ち筋を作ることができる。この場合、こちらのピカチュウexのエレキサークルで倒せないのに相手のピカチュウexやサンダーexに技を使うという選択肢を取らないのが大事。それをすると2点&2エネを失って絶対負ける。むしろミラー先攻時に取りたいプランは次。まずこちらのピカチュウexで相手の壁だけ倒す。そうして次ターンにエレキサークルを打たれてHPが減ったら、逃げてフィールド全体の総エネルギー数を温存しつつ、その後は4枚入っている壁(ピカチュウex2、サンダーex2)で時間を稼ぐ。こうして稼いだ時間でマチスライチュウ(&必要ならスピーダー)を間に合わせてなんとか成立させ、相手のHP満タンのピカチュウexまたはサンダーexを10まんボルト一撃で沈めて勝利。このプランがまあまあ決まるおかげで、ミラー先攻の勝率が目に見えて改善した。そして、逃げて逃げて耐えて耐えて140打点を間に合わせるというプランで動くのがゲームとして本当に楽しい。おかげで勝率はまあまあ出るし楽しいしで本当に言うことがなかった。

 

あと、上の構築への変更で、ミラー以外の勝率に影響がないのもよかった。種ポケの枚数が変わっていないのと、ナツメが腐り気味だったのをライチュウに変えただけだったのとで、強みがなくならなかったのだと思う。

何ならミラー以外の勝率は向上したかもしれない気もする。というのは、140打点というのがフリーザーexとスターミーexも一撃で沈められるラインだというのが大きい。HPが前者は140点、後者は130点なのでエレキサークル+弱点+サカキでもぎりぎり落ちず、負ける試合が多少あったところ、マチスライチュウを間に合わせて一撃で沈めるプランが取れるおかげで拾える勝ちが増えたように感じた。ミュウツーexだけHP150点なので落ちないが、デッキのメインギミック相性がそもそもピカチュウミュウツーサーナイトだと思うので、そこは気にならなかった。

それも強いんだよね。メインギミックはあくまでピカチュウexのエレキサークルであって、その成立率を落とさずに採用できているサブギミックのおかげで苦手な対面の勝ちをある程度拾いにいけるというのが強いしわたしの好みに合ってもいた。要するに上の構築は、最低品質保証を損なわずに上振れ札を入れるという趣旨で、前者のおかげで得意な7~8割くらいの対面でまあまあの勝ちを拾い、後者のおかげで残りの苦手2~3割くらいの対面の勝ちをある程度拾うという方針だった。

 

たぶんだけれど、大会環境とかでさらに多様性が減るとメタが回りだして環境トップは使いにくくなることもあるのかもしれないけれど、ランクマだと多様性がそこそこあるので幅広く強いと思われる環境トップっぽいデッキを握るのが無難であり、その上で構築をミラーに寄せたりプレイングを少しずつ工夫したりしてミラーの勝ちを人並みよりもちょっとだけ多く拾うことを目指すというのがいいんじゃないかな~と思う。というのがいまのところの感想というか、感じたこと。わたしはカードゲームの実際のプレイング(最善手を思いつくとか)はたぶんそんなに得意ではないけれど、それでも構築とプレイ方針を考えるのは好きで、今回はけっこう勝ててうれしかった。

 

ちなみに、レアコイルの特性を使ってマチスライチュウの成立率を向上させるという(たぶんそういう趣旨の)構築もあると思うので一言。構築はこれとか!

たぶんまず、(サンダーexを1枚抜かない場合)種ポケが増えすぎて初手とモンスターボール、博士の研究でピカチュウexを引ける確率が低くなりすぎるのではないかというのが一つ。あとベンチ3枠を埋めるだけなら種6枚か多くて7枚くらいで十分よさそうだというのもある。サンダーexはミラーでも1回耐える優秀な壁なので2枚あったほうが安心という気がする。加えて、レアコイルのエネ加速がなくてもフィールドのエネルギー総数を温存することを心がけてプレイすれば、マチスライチュウけっこう成立するな~という使用感もある。あとまあレアコイルは1進化なので事故要因にもなるしね。というわけでレアコイルはわたしは不採用にしている。ほんとはコイルが好きなので採用したいけれど……。

 

付記:レッドカードについて

あと最後にレッドカードへの苦情を書いとこうかな。

きずぐすりとサカキというカードが、ダメージを蓄積させる駆け引きにかなり影響するのに手札に持っている片方のプレイヤーしか知らない情報なので、手札の読み合いや想定を含む対戦中の駆け引きを複雑にしてくれてゲームを面白くしている大きな要素なんじゃないかな~とわたしは思うんだけれど、レッドカードの存在のせいで、それらのカードを手札に抱えずにすぐ使ったほうがよい理由が発生してしまっていて、せっかくのゲームを面白くする要素をやや損なってしまっているという感じがする。

逆にレッドカードのおかげで駆け引きが面白くなっている面ってあるかな?

なんかわたしはこのカードは苦手です。苦手カード一位はカスミ、二位はレッドカードかな。

 

まあいいか。おしまい。

マチスライチュウ入りのピカ様が強かった~という報告でした。

日記 2024年10月前半頃 かさぶたさんの中にはぶたさんがおる

7日 月曜日
哲学は概念を作る仕事なんだと言われることが時々あるけれど、わたしはあんまりぴんときていない。そういう言い方を許すならむしろ、議論を作る仕事なのではないかと思う。

 

8日 火曜日
袴田巖さん無罪確定へ。本当によかった。あまりにもひどい悪、不正だと思う。

修正再査読を通知するメール。がんばろう。

 

9日 水曜日
仮想オフィスサービスのような、要は数人で作業通話ができるサービスがあり、友達のそのヴァーチャルオフィスに入り浸っていた時期があった。2年前くらいかな。
今日久しぶりに誘われてそのオフィスに入ったら、わたし用のToDoリストなどが書いてあるメモの中に「1月は週に1日研究し、2月は週に2日、3月は…とやっていけば12月には週に12日研究できる人になるはず」と書いてあった。はっ、10月だから週に10日研究しなきゃ、と一瞬思った。天才だ。

 

11日 金曜日
ピカチュウであることをPと書き、サトシの相棒であることをSと書くとして、「ピカチュウの中にはサトシの相棒であるような個体が含まれる」というアニポケ世界についての事実を表現しようとして「∃x(Px∧Sx)」(ドメインはこの世界に含まれる存在者すべてとフィクショナルな存在者すべて)と書くと、それでもこの文はピカチュウが存在するということを表現してしまう?
ピカチュウが本当にいるとはまったく思っていない人が「ピカチュウの中にはサトシの相棒であるような個体が含まれる」と思うことはごく自然なので、存在の含みなしでこれを表現できたほうがいいと思うんだけれど。
そしてわたしは長らく「∃x(Px∧Sx)」)」(ドメインはこの世界に含まれる存在者すべてとフィクショナルな存在者すべて)と書けばそれを(ピカチュウが本当に存在するという含みをまったく伴わずに)表現できるものだとばかり思っていたんだけれど、どうもそうではないらしい。難しいな。
フィクションとの常識的な付き合い方をしているごく普通の人が持つだろうシンプルな考えであり、ぱっと見述語論理でシンプルにかつ上手に書けそうな考えなのにな。

 

12日 土曜日
わたしたちは世界の超序盤である暗黒期(人で言ったら1歳未満くらいかな?)に生まれてしまったので、意識ある主体がみな望んでもいないのに生まれてきて、それなのに戦争や老いなどによっていつか存在をやめなくてはならないのだが、そんなわけのわからない状況が必然的なことだとは考えにくいという感覚があるよわたしは。
あーあ、生まれてくるのあまりにも早すぎだったよと思っている。
意識ある主体の誰もが例外なくいつか死ななくてはならないというのはまったく当然のことではないと思う。


13日 日曜日
散歩日和なので近所を散歩した。
公園のなんかの植物にプレートが下がっていて「毒性があるとも言われておりますので」口にしないでくださいと書いてあって、諸説あるのかな?と思った。

帰り際、同行者と、「帰る?」「いや、まだお酒あるし」という会話をしたんだけれど、「飲み物」とも言わず「翠ジンソーダ」とも言わず「お酒」という粗さの言葉をわたしは自然に選択していて、しかも適切な粗さ・細かさの言い方はこれしかなさそうだという感覚もなぜか強くて、これって何の能力なんだろう〜と思った。
しばらくして帰った。


14日 月曜日
かさぶたさんの中にはぶたさんがおる。

 

15日 火曜日
コーヒーを飲んでから仮眠を取ると30分で起きられるという神話をわたしは信じていない(3時間寝た)。

電車で隣の座席の人とちょっと膝が触れた瞬間大きめの舌打ちをされて、感情表現豊かな人だなあと思った、あとちょっとこわかった。
千葉で用事を済ませて友達と夕飯&散歩。

 

16日 水曜日

うとうとしていたら「快楽説は幸福イコール快楽だと主張するとは限らない(私たちが幸福なのはどういう場合かという問いに答えるだけだ)」という内容の夢を見たんだけれど、こういうのは夢と呼んでもいいのだろうか。考えごと、と言うべきかもしれないけれど、でも起きたとき「あっ、夢か」と思ったんだよね。

やっぱり原稿検討会というのは出ると知らない話がたくさん勉強できてうれしいなと思う。
それに見合った貢献をできていたかどうか〜とは思うけれど、今回は比較的できたような気もする。どうかな。
最初開催方法を勘違いしていてめちゃくちゃ遅刻したのが今回はかなり悪かったけれども……。

 

17日 木曜日
アカデミックな価値を持つような言いたいことは現状ないが考えてみたい研究テーマというのはたくさんあり、阿部本*1がその問題にどのように対応できるのかはなぞかもしれない。
しかしこの本は少なくとも、研究プロセスの中の論文執筆直前という段階においてものすごく役に立つように思われる大変すぐれた本だとは思うのだけれども。

少なくとも生まれて間もない自分の子供について日記やツイッターやブログ記事などで娘や息子といった表現を与えるのって性別についてのかなり素朴な捉え方を背景にせずに行われることもある?
規範の充満する現実の会話でだったら娘や息子と表現する(せざるをえない)ことは理解できるけれど……。

これから夜は原稿検討会だ。わたしの今度の日本科学哲学会大会での発表原稿を検討してもらう。楽しみにしてちょっと休憩しておこう。

 

おしまい。

*1:阿部幸大『まったく新しいアカデミック・ライティングの教科書』(光文社、2024年)のこと。