久しぶりの日記。
※チェンソーマンレゼ篇のネタバレを含む日があったかも。29日と30日。
1日 月曜日
午前は仕事。
午後は横浜にある大きな書店と美術館にわたし含め三人で遊びに出かけた。
美術館の展示は「佐藤雅彦展」で、入口付近に大きくこう書いてある。
この展覧会のテーマは、
「作り方を作る」です。
佐藤雅彦
とってもベタだ〜と思いつつ(あと句読点いらないのではと思いつつ)同時に、わたしが修士課程一年目の頃に思っていたことと真逆のことを言っているな~と思った。当時、論文って作り方はかなり既製品で自由が効かないんだな~と理解していたので。
将来の夢は対話篇形式の論文で査読を通すこと、いつかそのうちね。展覧会を出たあとお餅を焼きながらその話をしていて、どこに出したらいいんだろうと言っていたら、この論文を教えてもらった。
- Habgood-Coote, Joshua ; Watson, Lani & Whitcomb, Dennis (2022). Can a good philosophical contribution be made just by asking a question? Metaphilosophy 54 (1):54–54. https://doi.org/10.1111/meta.12599.
タイトルしかなくてアブストラクトも本文もない論文で、とはいえコメンタリー論文が同時に公刊されている。わたしは本体のタイトルしか読んでいない。よい哲学的貢献はただ問いを問うことだけによってなされうるか?
- Habgood-Coote, Joshua ; Watson, Lani & Whitcomb, Dennis (2022). Commentary on “Can a good philosophical contribution be made just by asking a question?”. Metaphilosophy 54 (1):55–60. https://doi.org/10.1111/meta.12600.
というわけなのでそういう論文は、素敵なものが書けちゃったらMetaphilosophyに出すのがいいかも?
わたしが知っていた対話篇形式の比較的新しい哲学の論文は、不可識別者同一原理についてMax Blackが書いたMindのこれ。九年前くらいに聴講していた授業で読んだ。
- Black, Max (1952). The identity of indiscernibles. Mind 61 (242):153–164.
古いような新しいような。
なんにしても対話篇形式を取ることに必然性があればいいんだけどね。それを思いついたら書けたらいいなと思う。
2日 火曜日
午前は仕事。
午後はすきなひとの家に遊びに行って二人で休んだ。仕事もわりとした。
最近読んでいるという哲学の入門書の一部を読ませてもらったけれど、情報の海という感じがわたしの好みとは違った。入門書に文句をつける専門家になりたくないけれど、それはそれとして好みというものはあるので難しい。ニュートラル感を醸し出したり謳ったりしていないものが好きだったり、ポイントや読ませどころ、緩急のようなものが明白なものが好きだったりする。ぼやっとしていないものが好きということかも。
先月はわりとずっと授業準備をしていて、それで思ったのは、わたしはいまのところ入門書を書きたいという気持ちがないかもな~ということ。自分独自の見地から研究動向をまとめたいときはサーベイ論文を書けばいいような気がする。どう考えたらいいんだろう。ニュートラルを謳う入門書を書きたくもないし。
授業は「倫理学概論」という名前で、いろいろな話を盛り込んだ計画を立てていたので実現が大変だった。
3日 水曜日
十九時から日付が変わるまで共同研究の打ち合わせをして疲れて就寝。今週末の応用哲学会大会の発表準備。なんとかなりそうではあるのでよかった。
4日 木曜日
昼間、昨日の共同研究の打ち合わせの続きを三十分。
ともだちの科研費の調書二つにコメント。採択される確率の高そうな書類だった(と思ったのでそれも言っておく)。
疲れてお昼寝。
明日は土曜日朝からの学会参加のため大阪に移動する日なので、今日は荷造りをして早めに眠りたい。
気が塞ぐので、変なタイミングだけれど今年を振り返る。
- 一月はぼんやりしていた。あまり記憶がない。年内に博士論文の口頭試問が終わっており、わりと何もすることがなかったような気がする。引越しのため水戸の新居探しなどを初旬はしていた。なんとか決まって、後半は何も覚えていない。
- 二月になった瞬間くらいに新居を借り始め、しかし引越しはまだなので旧居に住むという期間が発生。ともだちに手伝ってもらって床材を敷いたりした。後半はずっと荷造りをしていたかも。本を箱に入れる作業がなかなか終わらなかったという記憶……。下旬に引越しを完了させる。
- 三月は科研費(研究活動スタート支援)の調書をずっと書いていた気がする。途中まで作業部屋にエアコンがなかったので、寒い中コートを着てPCに向かって調書を書いていた。第一週の終わる頃にはエアコンも設置されて、ともだちも遊びに来てくれたりした。
- 四月一日からテニュアトラック期間開始。前半は科研費の調書を仕上げていた。後半は記憶がないけれど、授業をしていたら終わったかも。共著で書いていた仮言命法に関する論文原稿の第一稿が書き終わり、英文校正に出す。
- 五月も引き続き授業をしつつ、刑罰論の論文原稿を書いていた。中心的に取り扱う理論を決めて、その関連文献を調査するところから。途中で日本哲学会大会に参加したりした、発表はなし。その土曜日に第一稿が完成。あとはずっとその直しをしていたんだったかな。
- 六月も刑罰論原稿を直し、半ば頃に投稿。超義務に関する共同研究で、三人で要旨を書いて調整し、学会発表に応募する。反省的均衡に関する共同研究もスタートさせ、要旨を書いて学会発表に応募。それから道徳的錯誤論の論文原稿に取り掛かって、下旬に第一稿が完成。これは八月に投稿予定のもの。しかし研究会でコメントをもらったら、議論が穴だらけであることがわかり、落ち込む。気晴らしに八月投稿予定の別の道徳的真理に関する論文原稿を書いていたら、順調に進み、六月中に第一稿が書き終わる(えっ?)。そういえば半ば頃から、実践理性批判をゆっくり読む会を開始させたんだった。
- 七月は道徳的真理の論文原稿を直しつつ、健康の哲学に関する共同研究をスタートさせる。仮言命法に関する論文原稿は校正が終わり、投稿。第三土曜日から論理学サマースクールに参加し始める。週末(金土日)が消えて痛い。八月下旬の集中講義の授業準備を本格化させる。最終日、研究活動スタート支援の採択通知が届き、心からほっとする。
- 八月は忙しかった。まず第一、第二土曜日を含む週末(金土日)が論理学サマースクールに消える。初旬には健康の哲学の共同研究で、要旨を書いて学会発表に応募。それから、穴だらけに見えていた道徳的錯誤論の論文原稿に再度着手。人からもらったコメントにもかなり助けられつつ穴を塞ぐ。目につくものは塞いだと思う。提出して、あとはずっと授業準備。お盆は母、父、弟と四人で二泊三日の小樽旅行をする。下旬に授業が終わり一息つく。道徳的真理の論文原稿を仕上げて投稿する。授業準備、共同研究三つ、単著原稿の修正二つを並行してやっていたら疲弊している気がする。
四月からは仕事の話ばっかりになってしまった。仕事以外って何をやっていたんだっけ……? 毎月数日ずつ東京から遊びに来てくれるわたしのすきなひとがいなかったらわりとおしまいだったと思う。
発表準備中の三つの共同研究を仮に論文化できるとすると今年度七本の論文を投稿することになりそう(単著三、共著四)。もしそうだとして、もう少し数を増やすか、やめておくか、とっても迷っている。どうしたらいいんだろう。現状の休息の必要度が読めないという感じ。査読対応やリジェクト後の修正&再投稿もこれから発生するはずだしなあ。しかし、投稿したうち何個が公刊されるかまだわからないのに手を緩めるなんてことができるほど業績に余裕がないんだよー。
5日 金曜日
台風のため東海道新幹線が運転を見合わせてしまい、東京駅構内に四時間近く閉じ込められる。疲れた〜。
なんとか動いて大阪到着。チェックインしたらすぐ共同研究者二人とオンラインで最終打ち合わせをして、シャワーを浴びて就寝。明日起きられますように。
6日 土曜日
応用哲学会大会に参加。朝起きられてよかった。七時に起きて、コーヒーを求めてすぐ宿を出る。朝のコーヒーがないと一日何もできなくなるひと。
無事コーヒーにありつき、秋葉剛史『形而上学とは何か』(筑摩書房、2025年)の第一章を終わりまで読む。
第一章を読むのは、ずっと前に見た映画の原作小説を読んでいる感じかも。メインで紹介される理論とかはわたしはすでにあらましまでは知っていたけれど、論述の細部には知らない話も(当然)わりと含まれている。それと何より、著者の語りが魅力的だと思うことに加え、話がぼやっとしていなくて、十分構造を備えている。本当に読みやすい。
本の続きを読んでいたほうが学会参加よりわたしの福利を増進するのではと一瞬思ったけれど、読みやめて会場に向かう。
大阪梅田駅の阪急線のホームは床の素材が好きかも。
発表は無事に終わる。発表後も休憩室でいろいろコメントをもらう。午後はねむけと戦いながらいくつかの話を聞く。公式懇親会で人々とお喋りやご挨拶。その後、学会参加者九人で懇親会。楽しかったよ。二十二時半頃に解散?
公衆浴場は苦手だけれど、労せずしてお湯につかれる機会だと思って受け止める。お風呂受け止めびと。もう寝るべきかもと思い、今日の日記を書く。
7日 日曜日
七時から七時半頃にベッドから抜け出す。昨日と同じお店で昨日と同じラージサイズコーヒーを摂取。秋葉先生の本の続きを少し読むけれど、飽きて日記を書く。
学会参加。気になる発表聞いて質問していろいろ教えてもらい、そして人々と交流できてとってもよかった。宿に戻る。
8日 月曜日
大阪から水戸に戻る。観光しようかと思っていたけれど疲れがあったのでやめて、新幹線の時間を早めて帰途に。金曜日の研究会で話すための資料を作りながら新幹線と特急に揺られる。
新しいノートパソコンは、ノートパソコンなのに画面が二つあるというもの。出先でのデュアルディスプレイが実現して本当にうれしい。とっても便利だよ。
帰宅したら疲れていたけれど、資料作りを大体終わらせる。えらい〜。
9日 火曜日
査読の結果が来ていたので見たら、修正のうえ掲載可とのこと。よかった〜。修正する。道徳的錯誤論の話。
その後、共同研究の打ち合わせ。最後まで議論が立って、なんとかなりそう。
夜は研究会。そのあと人と通話。
10日 水曜日
休みの日でもないけれど忙しくもない日だった。のんびり日。明日からの上田での研究会の準備、授業準備の仕上げなどをしていたら夜に。
人々と話したくなって、通話。明日は六時半に起きるので早く寝ないと。
11日 木曜日
朝早く起き、長野県上田市へ移動する。
研究会でいろいろな話を聞く。わたしの番はまた明日。
夜も楽しく過ごす。二軒目にあったはちみつのお酒がよかった。
12日 金曜日
研究会で報告。そんなに自信作とは言いがたい(にもかかわらず)複雑な話を駆け足で聞いてもらい、いろいろ言ってもらえた。うれしい。
昼食後はみんなで上田城に向かい、博物館の展示や復元された建物などを見た。民話の冊子を買う人が三人いた(わたしを含む)。
とってもがんばって片道四時間を帰宅。今日は店じまい。
今年を変な年にしたいなあと思う。哲学の論文をたくさん投稿したら変な年にならないかなあ。
素人が考えた理想の論文執筆ペース:十二本/年
ぼんやり過ごしたいし、忙しく過ごしたい。変な感じ。がんばろ。
13日 土曜日
仕事が早く終わらせてほしそうにしているので朝から仕事をする。コーヒーは550cc。修正版原稿の確定と提出、授業録音の仕上げ、OPTFの自己紹介発表のためのスライド作り。作業通話をしてもらって助かる。
論理学サマースクールの内容を復習する会は、参加者一人のお休みにより延期。残りの参加者に作業通話をしてもらう。今日はダウナーですねと言われる。そうかも?
そうこうしているうちに気合で買い物に出かける。帰宅し、朝昼夜兼用の食事をする。
すべての言葉を文字通りにしか受け取れないあり方から抜けられない。難しい言葉の意味がわからない。人を気遣うこともできない。人の言葉の意味がわからないので……。元気になれと思いながら、何になろうと思っている。わたしはどうなったら満足なんですか。大きめの音量であまり聞いたことのない音楽を流す。光量が乏しい。
ハルワニを読む読書会は今日はお休みしようかしら、どうしよかな、と思っていたけれど、なんとか参加。『愛・セックス・結婚の哲学』を読み始めたところ。今日はRL1、RL2、友人愛の区別が詳しめに提示される。多数派の経験の類型化という感じ。友人とはべたべたくっつかないよねみたいなことが書いてあって、わたしは友人によるが、と思う(思ったのでそう述べる)。恋愛パッケージは親密な(あと性に関して排他的な)関係性構築のためにとっても便利なので利用者が多いのはまあよくわかる。けれど、二人やそれ以上で一緒に規範を降りることもできる。関係のあり方をこまかく調整することができる。そうする能力や余裕のある人はそうすればよい。既製品の「恋愛」関係を降りても人と親しくなることはできるはず、とわたしは思っている(思っているのでそう述べる)。あと参加者の一人が言っていたけれど、恋愛パッケージのユーザーは、それを利用しない人々のことをほうっておくべきだ。わたしもたしかにそうだなあと思った。あとは、この本のこの辺りは多数派の経験の類型化をしているにすぎないように見受けられるが、とくにそう書かれているのではない。理論が多数派の経験にお墨付きを与える形になるのは望ましくないだろうから、この話がぴんとこない人に関するフォローを書いておいてほしいと思った。
実践理性批判を読む会は、出ようとしてみたら今日は人が集まらなくて流れてしまう。日程の再調整を試みることになる。
すきなひとと通話中、数時間前に朝昼夜兼用の食事をしたよと言ったら「そ ん な も の は な い」と言われる(泣)。「ゆうさんはどうしてそんなに食事に無頓着になれるの?」「いや、でも無頓着なんじゃなくて、おなかのすき具合を丁寧に考えているよ」。わたしは経験の記述上手(←明らかな劣勢)。
ところですきなひとは博論執筆の日々がまじで大変そう。心配すぎる。
シャワーを浴びて歯磨きまで済ませたので眠るべきかも。わたしはシャワーのことをしゃわ~と呼ぶ人だけれど、ブログなのでシャワー。あなたのはレビオサー
14日 日曜日
今日はなんだか元気かもしれない。コーヒーは550cc。
平日とみなして朝から作業。OPTFの自己紹介発表のスライドを確定させる。試しに喋ってみたら、ゆっくりめに話して二十八分台。持ち時間は三十分間と言われているのでまあ十分かな。Twitterで一応宣伝しておく。
授業動画の仕上げも完全に終わらせ、あとはアップロードすればいいだけになる。期末試験の問題も作らなきゃなあとは思いつつ、今日は授業準備はおしまい。日曜日とは?
米を炊く。最近はずっと雑穀米。
すきなひとが急遽、今日から遊びに来ることに。掃除をする。
明日のミーティングまでに読むべき文献を読まないと。健康の共同研究の準備。どうなるかな。
OPTFの合評会、出たいけれど出られるかなあ。
のんびりした日だ。退屈さはそこまでなく、忙しくもなく、十分なぼんやりを確保している。今日の残りをどうしてやろうか。文献は読む(のではないかと思う)けれど。
合評会には部分的に参加。延長線になってから質問もしてしまう。この本は読まないと。
15日 月曜日(祝日)
コーヒーは550cc。しかし今朝はひとに200ccくらい分けてあげたのでいつもより少なめ。昨日読まなかった本を十三時までに読む必要がある、という九時二十八分。と言っていたら十時三十一分。やば。
読み終えて共同研究のミーティング。テーマは看護実践における健康概念。三年くらいの付き合いのともだちが看護学研究者で、わたしは哲学研究者なので一緒にやってみている。まあまあよい発表になりそうな予感はあるかも。十六時に終わらせて昼食。次回は明後日の朝。
ひとの博士論文草稿を読んでコメントをする。2.5時間くらい? 終わったら夕飯。
16日 火曜日
共同研究の準備をしていたらほぼ一日が終わったかも。健康の研究。とってもいい本(2025年出版)を見つけたのでそれを読む。多元論と概念工学の一種を併せた方法論が採用されていてそれもよい。
夜は家に来ているすきなひとは措いてともだちと通話。通話前にお湯につかったのでどんどん眠くなっていき、二十二時に通話終了したらすぐに眠る。
17日 水曜日
朝六時頃に起床し、共同研究の打ち合わせの準備をし、九時から十三時半まで続く打ち合わせ。改めて議論の方針が立つ。今後の予定も決まる(次は土曜日)。
共同研究の一人で進めるパートに取り組んでいたらもう夜だ(文献調査が捗る)。夕飯を作っていて、十五分間の煮込み時間の間に博論の話を相談させてほしいと言われ、そのまま話していたら十五分経過したから鍋の火は止め、続きの相談に乗る。夕飯を食べながらもそのことを話し続け、食べ終えても少し続いた。解決はしたのでよかった。やや疲れたかも。わたしがひとの役に立っている。
その後二十二時となり、疲れをおして必死でシャワーを浴び、「ほらね」と言いながら人前に現れる。ご飯をパックして、ひとをシャワーへと見送る。二日分の日記を書く。もう眠るかも。
わたしの中学校から高校くらいの頃の好きなキャラは、自分がなりたい人だった。長門有希とか、鳳鳴とか、渡来明日香とか。名取周一とか。二鳥修一とか。ホロとロレンスだけは特別で、二人の関係を眺めて(読んで)いるのが好きだったけれど。(ごめん、長門有希、鳳鳴、渡来明日香みたいな人にはいまもわりとなりたいかも?)
「健康とは何か」の研究。概念について「それは何か」という問いをめぐって行う研究をわたしは今回初めてやっていて、方法論的に慣れないし戸惑いも少しある。概念工学とか言っている。という話をひとにしていたら、あなたはメタ倫理学で「道徳とは何か」をやってきているひとだと理解してるよと言われ、ちょっとわかるけれど自認は微妙にそうじゃないんだよなあと思った。
18日 木曜日
早起きしてコーヒーを550cc。六時頃から十時頃まで作業した気がする。リビングで休み始めてひととお喋りしていたら十一時くらいになる。また少し作業。十三時からの勉強会に向けてお昼を食べて少し横になっていたら、ラインの通知に気がつく。見ると、参加者の都合が悪いという連絡で、勉強会が延期になる。そのままうだうだする。二人でアニメ鬼滅の刃遊郭編を第四話まで見る。大雨が降り始め、降り止んでいた。家中の扉を開けてエアコンをすべて除湿とし、少しだけストレッチをしていたら作業の続きができる気がして少し作業。二人で買い物に行き、帰宅して夕飯。だいぶうだうだしてからお風呂に入って、梨を食べて、いま。
作業はほぼずっと共同研究の担当パート。発表のアウトラインを四割くらいまで作る。スライドテンプレートを素敵な感じに整える。
レンズ豆はレンズに似ているからレンズ豆と呼ばれるわけではなく、レンズがレンズ豆に似ていたからレンズと呼ばれるようになったという定番豆知識があるけれど、これと似たような例はありますかとひとがGeminiに尋ねたら、以下のような回答が来たという画面を見せてくれて、かなり意味がわからなくてよかった。
画家ゴッホが描いた「ゴッホの椅子」は有名ですが、「ゴッホ」という言葉は、彼が椅子を描く前から存在していました。[…] 「ゴッホの椅子」という言葉から、まるで椅子が先に存在し、その後にゴッホという人物が生まれたかのように錯覚することがあります。実際には、ゴッホという人物が先に存在し、彼がその作品を生み出したのです。
「「ゴッホの椅子」という言葉から、まるで椅子が先に存在し、その後にゴッホという人物が生まれたかのように錯覚することがあります」という文、なかなか人には生み出せない迫力があって素敵だ。誰の話をしているの……??
希少な人「えっ、ゴッホってゴッホの椅子より先に生きていた人なの……?」
すべてを受け入れたわたし「そうだよ、レンズ豆がレンズより先に存在していたのと似ているよね」
ゴッホの椅子はけっこう素敵な絵だった。あと、同じ話をわたしのGeminiにもしたら、やっぱりだめだった。うける。
19日 金曜日
六時前に目が覚める。
八時頃に起床し、先日の健康診断の結果に異常が見られたので病院へ。かなり待って、先生から話を聞く。腹部のエコー検査と血液検査。体重を2.5キロ程度落とすようにとのこと……。
帰宅したらお昼時。Huelとコーヒー550ccをもって作業部屋に。メールをいくつか返し、レポート課題を発表したりいろいろ。
減量に向けてのアドバイスをひとからいろいろもらって、さしあたり一週間のあらゆる飲食物を記録することになった。体重も記録する。がんばろ~。
午後はOPTFの定期研究報告会に十五時過ぎ頃から参加。十七時二十分から十八時五分頃まで自己紹介発表。本調子ではない感じになってしまったけれど、まあ本調子のときとかそもそもないか。仕方ない。
終わって、東京に帰るひとを見送りに水戸駅まで。なぜだかとっても帰宅したくなりながら帰りのバスを待つ。弱くない吐き気。
帰宅して、IRIS OUTを、歌詞を見ながら何度か聞く。一番最初のフレーズ:
だめだめだめ、脳みその中から「やめろばか」と喚くモラリティ
わりとカントじゃない? モラリティのふるまい。
朝九時からお昼休みを挟みつつ十六時頃まで共同研究の打ち合わせ。長っ。
十七時から十九時まではハルワニを読む読書会。乗れない議論が多すぎてそこそこつらい。あと、ロマンティックラブの経験がたぶんわたしにないので、それも読みにくさの一因になっていそう。
終わって、料理ができるとは思えない疲労にしょんぼりする。わたしの意志の弱さがわたしをいつか孤立無援にするかもしれないことが怖い。わたしには周囲のひとに最低限迷惑をかけない程度のセルフケア能力が求められている。
少し眠り、食事をしてから、明日食べるためのカレーを作る。
そのあと突発的に四人で通話。減量計画についていろいろ言ってもらう。やはり運動か〜。通勤を自転車から歩きに変えるとか、したほうがいいのかもねというような話。助けてくれる人に頼りつつ自律的に進めるべき。
通話後、眠れる感じがなく困り、作ったカレーをご飯茶碗に一杯くらい食べてみる。ご飯は食べない。おいしくできているよ。
21日 日曜日
七時頃目が覚め、八時頃起床。
コーヒーは550cc。Huelと併せて飲みながら二時間くらいぼんやり作業。普段聞かない曲を聞く。
22日 月曜日
昨夜は遅くまでうまく眠れなかった。
朝八時、歩いて通勤しなくてはならないと思うとまったく起床できず、十時まで寝直してしまう。このままでは一日中起きられず寝続けることになりそうな気配を感じ、徒歩出勤の予定を取りやめたら起きられた。一安心。
自転車で出勤。学内でアイスコーヒーを買って、十一時頃から作業を始める。朝食を忘れていて正午頃にHuelを飲む。
共同研究のスライド作りを進める。今日は日本語の先行研究をフォローする。
すきなひとの博論の相談にも乗る。役に立てるとうれしい。
参加者のうち二人がお休みのためネーゲル『利他主義の可能性』を読む読書会がなくなり、人々と雑談。研究計画調書のタイトルの話とかをする。原稿の書き進め方とか。
23日 火曜日(祝日)
深夜に中途覚醒してから眠れなかったので朝はゆっくり九時に起きる。
コーヒーは550cc。
体重を測ると、昨日から0.2kg減っている。記録を見ると9月19日から大体毎日0.2kgずつ減っているけれど、その調子で三十日間で6.0kgも減るわけがないので何かがおかしい。本当に減っている&この調子で減ってくれるならうれしいんだけれど。
この調子で一年ほど減ると理論的にはわたしは負の質量をもつ人になる。上空に向けて落下するから、天井を歩けるのではないか。一年後に天井を歩くためにやっていると思うとダイエットも楽しめるかも。あとは体重の増減に一喜一憂したら楽しいし、やる気になるのではないか。
休日なので在宅で、数日分の日記を書きながら今日は何をしようかな~という気持ちでいたらいつの間にか正午を回っている。何かを数えたら楽しいかな。星? 木の葉? 人? ページ?
夜、チェンソーマンレゼ篇を見てきた人から感想が送られてきて、その話は書かないけれど、関連してわたしがチェンソーマンを読むときに思うことを書いてみようかな。デンジって突然自分に価値が発生したひとだよね。そこからすべてが始まっている。雇用されて困窮を脱して、それまでは一人で生きていたのに、周囲に人が溢れるようになる(他人が発生する)。かなり戸惑うが、徐々に受け入れる。わたしは同じようなことを経験したことがあるなあと思う。大学一年生の最初の四月から五月頃のことで、あるサークルにふらっと入ってみたら、突然自分に価値が発生し、周囲に他人が溢れるようになった(他人が発生した)。自分の価値と多数の他人というのはわたしにはそれまで馴染みがなかったので最初、かなりびっくりして戸惑っていた(とっても疲れたりしていた)けれど、世の中そういうこともあるんだなあと思って徐々に受け入れた。(高校のときクラスメイトなどのことを(かなり少数の例外を除いて)あまり他人だと思っていなかった感じがする。ほんとにエージェントだと思っていたのかな? 名前も覚えていないひとが多かった、よくないね。)
以上のようなことにわたしは最初気がついていなかったのだけれど、2022年にKICK BACKによってデンジのことを米津に言われるがまま少し理解したときに気がついたと思う。「ハッピーで埋め尽くしてレストインピースまで行こう」というのはけっこうすごいフレーズだと思っていて、ある日突然そう思えるようになったひとの話なんだよね、この漫画。KICK BACKはだから聞くとけっこう元気が出る。ひとはこんなこと思っていてもいいんだ、と思って。
高校生くらいまでのわたしは生活にかなり退屈していた。何をしていても根本的にはまるで楽しくなく、広くて何もない蒸し暑い部屋に閉じ込められているイメージだと思う。この感じは別に最近でもまったくなくなったというわけではなくて、ふとした拍子にまた戻ってきて離れなくなることはあるけれど(仕事が一区切りついたとき、風邪をひいたとき、等々)、とはいえその部屋にい続けて出られないということはその頃からなくなった。数人の素敵な人たちのおかげで。
24日 水曜日
午前はシンクの掃除(ぴかぴか)。
午後は反省的均衡のほうの共同研究の打ち合わせ。スライドがほぼ確定。発表後のことについても少し話す。
昼食を食べ忘れて十六時半頃に食べる。
夕食は二十時半頃に食べる。
人々と通話していたら寝落ち。
25日 木曜日
午後中、ひとの博論の第五章にコメントを付けていた。35,000字くらい。休憩込みで九時間程度やっていた。
26日 金曜日
期末試験の問題を作る。
共同研究者でもあるともだちが小型犬を連れて家に遊びにくる。わたしは二人ともさんづけで呼ぶ。
先に大学で打ち合わせを済ませて、二人で帰宅。
湯舟を洗ってくれたのでお風呂につかる。二十三時半頃に就寝。
27日 土曜日
朝は早めに起きて少し作業したけれど、その後は久しぶりに、本当に何もしない日を過ごす。
28日 日曜日
早起きしたけれど、引き続き何もしない日。ひとがひとに釈迦に説法をしている様子をオンラインで見聞きする。夕方、帰るともだちを駅まで見送る。
29日 月曜日
振替休日なのでチェンソーマンレゼ篇を見に行った。
みんなどうかわからないけど、わたしは爆弾の悪魔の造形がどうしても好きになれないので、それだけで本当にレゼが気の毒になるというところもあるかもしれない。序盤に、マキマが映画を見て涙を流すのをデンジが見る場面があって、この場面がレゼ篇に含まれていた感じがしていなかった。戦闘シーン、デンジが途中からビームに騎乗して速度を出すのかなりばかで好き。
レゼって偽名だと思うけれど、自分でつけたのかな。気に入ってたのかな。あのあとうまく数日くらいは一緒に逃げて、その間の束の間、レゼのために生きるデンジのことを考えちゃうよね。レゼが抱えているしおれてきた花束を見て、それいつまで持ってんだよとデンジがレゼに言っている。えー?という返事。完全にしおれて腐るまでは逃げ切れなくてもいいから。でも、しおれてきたら買い替えられたらいいよね。レゼは花をもらった数を数えるかな。百まで数えたら、あとはもう数えるのはやめたらいいよ。爆弾とチェンソーに手を焼くマキマも見たかった。ビームはどっちにつくのかな。
30日 火曜日
最近、朝六時頃に目が覚めることが多い。今朝はそのまま起きて、少し作業をした。反省的均衡の勉強。あまり面白く文献を読めていない感じ、どうしようかなこれ。
九月が終わるね。
今日も振替休日なので何もせず横になり、IRIS OUTとJANE DOEを交互に聞く。レゼにとってのデンジのこと、デンジにとってのレゼのことを考える。爆弾とチェンソーとでマキマに束の間の抵抗をして、負ける、そういう話があってもよかったのに。その数日間がもしあったらあんな死に方とは違っただろうにね。
ところで、心の調子が停滞期に入ったような感じがする。やばいかも、退屈で退屈で仕方がないという感覚。なぜ〜。
という気持ちを一度忘れ、十八時から二十三時まで健康の共同研究の打ち合わせ。疲れるけれど、よい発表になりそうだという期待が持てることはうれしい。
寝ると明日が来る。十月はいま来た。この九月はいろいろ含んでいたような、あまり特筆すべきことはなかったような、どちらともつかない感じがする。十月はどうだろうね。