日記 2022年3月8日~14日 半円

8日 火曜日

朝5時頃に起きる。起きたのは寝直せそうになかったからだが、仕方ないので食器を洗いコーヒーをいれ、読書(研究という言い方もある)をする。

最近、PC上でメモをとるときconstructivismを構成主義ではなく構築主義と書くようにするという変化があったが、まだ手に馴染まず構成と構築が混在するメモになってしまう。読みにくいので一括で置き換えたりする。手書きのときはCとか書いてすませている。

江國香織ケイトウの赤、やなぎの緑」を読む。『ぬるい眠り』所収。「きらきらひかる」の後日の話だということだけ事前に知っていた。まあいい話。めちゃくちゃなことを言えば、人間関係がうまくいっているのはいいことだから。

 よく晴れた日だ。夕方になり、庭はきょうの最後の光に彩られている。
「占部くん、またヴァイオリンを弾いてくれるんでしょう?」
 笑子が言った。
「睦月はあなたのヴァイオリンがすごく好きなのよ」
 理解できない、という顔で、ちなみは僕を見る。(305頁)

終わり近くのこの場面が作品にとって大切だと思う。必ずしも望み通りではない変化にこうやって対応するのも悪くないかもしれないと思わせる。私たちは本来うまくやっていけるはずだという希望と、でもそれがただ幸運によるものにすぎないかもしれないという側面が一緒に書いてある。

沙村広明波よ聞いてくれ』第9巻を読む。
トマス・ネーゲル『哲学ってどんなこと?』を読む。

夕方、青椒肉絲をかなり適当に(レシピを尊重せず)作る。夜、日本酒を少し飲む。こんなことにお金を使っていいんだろうか。

 

9日 水曜日

氾濫した川の濁流や嵐の日の海を上から覗き込むことを想像して、その想像を維持したまま空を見ると、自分がこのまま上向きに落下し上空の強い風に飲まれて大変なことになるのではないかという考えが離れなくなる。
これは私が、鯨が大海を泳ぐ映像を見るのが怖くて苦手だったり、どこまで延びているのかわからないような広大な空間(海、空、その先など)の中に自分の体が放り出されている様子を思い浮かべるのが怖くて苦手だったりすることと関係している気がする。

今日は朝7時頃に起きた。昨日の私とは違う。食器を洗いコーヒーをいれ読書する。

ゆらゆら帝国「空洞です」を聞く。2回に1回程度の割合で私を快適にしてくれるので助かっている。好きなのかもしれない。


10日 木曜日

夕方、月が真上にあり、やや暗い青い空に白い半円をしている。私は散歩を大雑把にしてしまうが、月は例外で、よく見る。月影は視線のようだと思う。満ち欠けはまぶたのひらきぐあいに見えるので、半分くらいになっているのが落ち着いていていいと思う。片目で半目で世界を見る人。満月が二つ昇ったら凝視されているようでちょっと嫌かもしれないなと思う。

今日はとてもいいことがあったのでうれしい。麻婆豆腐と寿司を食べる。

夜、明日引越していく人の引越し準備の手伝いをする。箱に物を詰める。さみしくない?


11日 金曜日

知らない道を大雑把に散歩していたら完全に自宅との位置関係がわからなくなった。しばらく歩くと駅前に出たので解決した。昼下がり、引き続き大根の半月切りみたいな月が出ている。

江國香織「弟」を読む。『すいかの匂い』所収。人が死ぬことについての話だった。私はまだ受け止める用意がないので適当に読んだ。

今日は進捗がいまひとつだった。


12日 土曜日

朝、なぜかめちゃくちゃ眠かったが起きた。

一日読書。むずかしい。

 

13日 日曜日

読書。むずかしい。論文を作ろうとするほうの研究にも少し取り組む。むずかしい。私には価値あることは何も思いつけませんという感覚が強まる。

ケーキを食べる。「桜とダークチェリーのロールケーキ」とタルトタタン

 

14日 月曜日

朝は雨が降っていた。随分久しぶりだと思う。上がってから二人で寿司を食べに行く。その後めがねを買いに行く。少し疲れる。タリーズコーヒーで「ヨーグルト&アサイー」を飲む。

何かをもう少し読んでから寝たい。